コラム


 

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OYAJI NO UTA

by 安藤弘志

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オヤジのうた曲名リスト



VOL.853 * 2024/11/10


コラム「OYAJINOUTA」読者の皆さまへ

このたび、当コラム「OYAJINOUTA」の管理人であり、心から尊敬する父・安藤弘志が永眠いたしました。父が情熱を注いで綴ってきた言葉の数々は、皆さまとの温かな交流と共に、その存在を深めてまいりました。多くの皆さまに読んでいただけたことが、父にとってかけがえのない喜びであったことを改めてお伝えしたいと思います。

今後、サイトの更新は行わないものの、父の思いを残すため、サーバーは引き続き維持いたします。父の言葉が皆さまの心に響き続けることを願いながら、この場所を大切に守ってまいります。

どうかこれからも、父が残したものを温かく見守っていただければ幸いです。父に代わり、心からの感謝を込めて。



VOL.852 * 2024/10/05


「ジンハウスブルース」 浅川マキ

おかげさまで痛風の痛みはなくなり、腫れの方もゆっくりゆっくり消えていきました。
ただ何かのひょうしに足先に不穏な感触が察知されることがあり油断はできませんが。
病院の先生に血液検査の結果を聞いたら電話口で特に問題はないとのことなので
一件落着と判断することにします。新書「大往生したけりゃ医療とかかわるな」によると
生活習慣病の特徴は「治らない」「治せない」「予防できない」「すぐには死なない」
だということ。感染症と違って治癒するという結末は無いという認識のもとにわが身に
備わった健康維持力をなるべく良い状態に保つ努力を続けることにします。前回の記事
とのあいだに総理大臣が代ったりしていますが、心配したり怒ったりもなるべくしないように
します。ニュースのトップラインには出ていないけれど良いこと、保たれていることの方に
なるべく目を向けて生きていきたいものです。秋風に吹かれた世の中にふさわしい一曲
として思いついたのが表題曲です。試験的な断酒が半月を過ぎました。特に体調が良化
した実感はないのですが、カラダと対話しながら今後のことは決めることにします。
♪こんな私でも 陽気な時にはね 怒る気などには とてもなれないものさね〜



VOL.851 * 2024/09/18


「お父さんが嘘をついた」 六角精児バンド

♪若い頃からの偏食が祟り 尿酸値が異常に高い 痛風になったようだ…
と唄う六角精児さんと違って最近の私はバランスと節度のある食生活をしていたつもり
だったのに、、、痛風になってしまいました。以前から時々きざしは在ったのですが、
おおごとにならずに済んでいたのに、十日ほど前に豚のレバニラ炒めを多めに食べたのが
引き金になったようです。歩くのに支障を感じるほど左足の甲が腫れてしまい久しぶりに
病院というものに出かけました。よく言いう「風が吹いただけで激痛にもだえる」ほどでは
ありませんでしたが二時間待ったあげく診察した先生は即決で痛風の診断。尿酸を散らす
薬は急性期には使えないとのことで痛み止めのロキソニンを十日分処方されました。
一週間呑んだ痛み止めを止めてみたところ痛まないし腫れもひいたので一安心です。
年を取ると食事制限もさほど苦になりません。大抵のものの味やにおいは記憶に
刻んであるので、想像力で再現すればそれで物足りることも可能です。ただし問題は
アルコール・お酒をどうしたものか、夕食に何もないのはちょっと辛いし極くほろ酔いで
あとはウーロン茶でごまかすか、いっそ山下達郎氏のように完全に酒を絶ってしまう
べきか思いは揺れ動いています。「呑み鉄」も捨てがたいですもんね、六角さん。



VOL.850 * 2024/09/08


「灰色の瞳」 加藤登紀子/長谷川きよし

去年も書いたけれどFM番組「ウィークエンドサンシャイン」の特集に合わせて50年前の
1974年の想い出の一曲を探してみました。74年といえば大学に入った年だとすぐ判るのは
学生番号のアタマの数字が入学年度の74で始まる数字だったから。西暦年を感覚する
ひとつの目安に今でもなっています。九州の田舎に居ながら京都大好きだった少年が
喜び勇んで上洛した年です。早速あこがれのHALFのジーパンを買い、ライブハウスを
めぐり、祇園会館で映画を見たり、さすがに丸善にレモンを置きはしませんでしたが、
「しあんくれーる」など現代文学の聖地巡りをするなど充実した日々でした。とにかく
それまでの情報のギャップを埋めるべく、プレイガイドジャーナル片手にあらゆる文化の
比較的安価で触れられるモノを貪欲にむさぼった気がします。過去ニ三年ぶんの
バックナンバーをチェックするのに忙しく、同時代の音楽の記憶はそれ程ありません。
表題曲はウニャラモスのフォルクローレを基に山木幸三郎編曲によるエキゾチックな
デュエット曲なので初めて聞いた時から印象に残りました。74年の私のベストです。
思えばジュークボックスというメディアがまだ生きていて喫茶店の片隅にあった頃です。



VOL.849 * 2024/08/19


「丘の上の校舎」 高石友也とザ・ナターシャセブン

そろそろ夏の終りの気分にふさわしい曲でも取り上げようかと思っていたら、ついに
高石ともやさんの訃報が入ってきました。82歳ですい臓がんだそうです。日本の
フォークソングにとって、お父さんのような存在だったので覚悟はしていましたが、
あなたが教えてくれた数多のうた達に、ありがとうと感謝したいです。オリジナル
ソングや笠木透さん達とのフィールドフォークも素晴らしいですが、同じくらい後世に
残したいのがカーターファミリーなどの米国古典フォークを我々の懐かしい世界に
見事に翻案して生き返らせた歌の数々です。表題曲は特に今しみじみ聴きたいです。
♪背よりも高い草原を駆け抜けて いつでも歌ってた子供の頃…
いつまでも忘れないあの日の空 いつまでも忘れない八月の空
思い出を色で塗れば明るい緑 思い出を絵にかけば丘の上の校舎



VOL.848 * 2024/08/07


「シン・新幹線」

前々回に触れた新幹線の話題なのですが、現在立ち往生している完成できない
整備新幹線についてもひとこと言わせてください。まず北陸新幹線の敦賀〜新大阪の
ルートについて。費用と工期から米原ルートに早く決めるべきです。ただし当面は
米原で乗換えとします。輸送密度ぎりぎりの東海道新幹線への乗入れは諦めて
米原〜新大阪は複々線的な新線の建設をします。これが完成して初めて大阪と
北陸との完全な接続になります。さらに私の提案としては米原〜東京の複々線化
も進めたら良いと思います。新設部分は速達列車専用として駅を飛ばしても良いで
しょう。ただし電気系統などは分離してどちらか不通の時にバイパス機能が担える
ようにします。JR東海にはリニアを諦めてこっちをやれと言いたいところですが、
だめならJR西日本と東日本主体で進めてもらってもいいです。
次に西九州新幹線ですが6年前にも書いたように長崎〜武雄温泉を改軌して
直通の利便性を重視した狭軌の新特急を目指すべきでしょう。佐賀県としては
佐賀〜博多〜小倉の新快速が一番欲しいかも知れませんが、妥協点として
長崎〜博多〜小倉〜大分の狭軌シン幹線を目指してJR九州には頑張って欲しい。



VOL.847 * 2024/08/05


「株価大暴落?」

先週末から東京株式市場の株価暴落がセンセーショナルに報じられています。これでも
オリンピック期間中になったおかげで騒ぎは抑制された方でしょう。投資初心者の方は
ぜひ落ち着いて下さい。週末がブランクマンデー以来でさらに週明けに2500円下げれば
大事件ではありますが、日経平均でいえば年初の1月始めに戻っただけの話です。
昨年末の当欄の推奨通りに買いを見合わせていた皆さんにとっては絶好の買い場に
なりますね。ただし今年のNISA購入枠全部を使ってしまわずに週ごとに細かく指値を
出してはどうでしょう。過去のバブルの例でも二番底に落ちてから急上昇していたりします。
銘柄の決め方ですが、優良企業の中でもPBR低めで自己資本が充実していること。
たとえ株価が上昇し難くても配当だけ頂いて長期保有しても良いと思える好きな会社を
選ぶのが肝要です。保険としては、まだまだ高値ですが金銀などのETFが値下がりして
いるので持ってない人は買い目かも知れません。地政学的リスクが大きいのに逆行安
しているのは他の投資で信用買いした投資家が金策に迫られて投げた可能性ありです。
米国株やオールカントリー等に関しては、ちょっと私には何とも言えません。



VOL.846 * 2024/07/30


「私と新幹線」

日本の高速鉄道網として最初に開通した東海道新幹線が60周年を迎えるにあたり
JR東海と講談社現代新書の共同企画で「新幹線との思い出」というエッセイを30
人分集めています。ついでに、お目汚しですが私の思い出も綴っておきます。

東海道新幹線が開通した昭和39年に小学3年だった私は東京の杉並に住んでいて、
父はしょっちゅう大阪に出張する仕事だったので記念切符など見せてもらいました。
やがて貝塚の伯母の見送りで東京駅に行って私も真新しいツートンカラーのひかり号と
対面して憧れました。そして自分も乗る機会は意外と早く訪れます。翌年の秋に父の
転勤で九州へ家族で引っ越すため新大阪まで乗車です。家族四人が向かい合える様に
指定席券は山側の前後でとりました。父は富士山を見せてやろうという思惑もあった
ようですが残念ながら当日は雨で、全く見えませんでした。それでも窓ガラスに当たった
雨粒が高速なために真横に流れるのを発見して感心したものです。延岡の小学校に
転校した後に新幹線に乗った自慢をした記憶は余りありません。ひかり号が時代の
花形すぎて皆テレビなどで見知っていたからでしょう。内心では地下鉄にしょっちゅう
乗ったことが自慢で、汽車がトンネルに入ると窓に背を向けて地下鉄ゴッコなどしました。
その後私が丸い鼻の0系新幹線に乗車したのは昭和47年の修学旅行が最後です。
もっとも0系の座席に座ったのはその後も何度かあったのを思い出しました。
熊本で主に三角線と時々豊肥線に使われるキハ31形ディーゼルカーというステンレス
にブルーの線の入った車両の座席が0系新幹線の転用だったのです。



VOL.845 * 2024/07/25


「八月の罪と罰」

第171回の芥川賞を「パリ山行」で受賞した松永K三蔵さんの受賞エッセイのなかで、
「十四歳の夏、母から渡された『罪と罰』、それから全てはじまった。」の一文に目が
止まりました。どう始まったかのいきさつは書かれていませんが、人生を大きく左右する
文学との出会いだったのでしょう。私は十七歳の夏の記憶が蘇ってきました。好意を抱き
はじめた同級生の女子が繁華街の書店でアルバイトをしていると聞いて、その書店へ
出かけたのです。文庫本を一冊買おうと思ったのですが、見栄を張って内容が重く
分厚い作品を探して結局ドストエフスキーの「罪と罰」新潮文庫版を手に取って彼女の
居るレジへ向かったのです。夏休みの残りを費やしてなんとか読了しましたが、得た
ものといえば学友との会話で「ラスコーリニコフの悩みは…」などと知った風なことを
ひけらかせた位でしょうか。それでも彼女とはその頃から親しく話せるようになり、
二十代の半ばころまでは時々良い想い出をともにする得難い存在になりました。



VOL.844 * 2024/07/12


「潜水艦いらない」

小学三年生ぐらいになった頃、少年漫画週刊誌がブームになりました。中でも私が
好んで読んだのが「少年サンデー」で、好きなマンガは赤塚不二夫「おそ松くん」と、
小沢さとる「サブマリン707(ななまるなな)」でした。707号は実際の海上自衛隊の
潜水艦よりもフォルムが美しくて鉛筆でまねしてよく描いたものです。Uボートや
旧海軍のイ号潜水艦と同系統の水平甲板をうまくデザイン処理してあり、米軍系統の
紡錘形、悪く言えばイモ型のものより断然カッコよかった。そんな自衛隊の潜水艦が
メーカーとの癒着により公金が私物化されていたことが明らかになりました。摘発した
税務当局にはアッパレを差し上げます。考えてみたらそもそも自衛隊になんで潜水艦
が必要なのでしょうか。姿を隠して魚雷などを使用する必要が想定できるのでしょうか。
他国の潜水艦の脅威を防ぐのなら潜水艦同士よりも艦艇や航空機のほうが効率的です。
これからの時代はドローン的な無人潜水機を開発して哨戒能力を確保すればはるかに
安全でで安上りでしょう。潜水艦を運用する予算をバッサリ削って救難飛行艇や
深海調査船に回して海洋の平和利用に役立てていただきたいと願うところです。



VOL.843 * 2024/07/03


「新札入替わり」

日本円の紙幣が意匠替えを行い、今日から市中に出回り始めるとのことです。過去の
記憶で新札にまつわるものを思い出してみると、やっぱり身近な千円札の変更が
印象深いですね。1963年に出た伊藤博文の千円は色調の明るさが斬新で、高度成長
を象徴するような存在でした。それが変更されたのが1984年でちょうど私が結婚した
年でした。嫁さんと行った札幌ラーメン屋のTVニュースで知った場面を記憶しています。
この時に代った千円の夏目漱石と五千円の新渡戸稲造が短命で早々に消え去った
印象があるのは一万円の福沢諭吉だけが次の新札でも続投したためだったようです。
ほぼ二十年ごとに新札に入れ替わっているわけで、私にとって渋沢・津田・北里トリオ
が人生最後の顔ぶれになるのか微妙なところですが運命に任せることにします。
絶対に避けてほしいのは、超インフレでドタバタの新札切り替えなどという事態ですが。



VOL.842 * 2024/06/09


「胸いっぱいの愛を」 レッド・ツェッペリン

6月9日なのでロックの日なのですが私にとっては69才で迎えるロックの日になります。
振り返ってみれば私が「ロック音楽」を意識し始めたのがちょうど1969年頃じゃないか、
それ以前にビートルズもポップス音楽もR&Bさえも馴染んではいたのですが、それとは別の
区分けで「ロック」と呼び出した気がします。当時は「ニューロック」という呼び方がよく
使われましたね。ファズマシーンなどエフェクターでひずませたり伸ばしたりしたリード
ギターが前面に出たり、シカゴやB.S.T.などのブラスロックとか楽器サウンドの魅力に
当時の若いモンは強く惹かれました。そんな中でツェッペリンのロバート・プラントの
ヴォーカルも一つの楽器としてジミー・ペイジのギターと対等に光っていました。
やがて70年代に入るとツェッペリンやディープパープルの主流と別にプログレやパンク
などとロックも幅広くなる中で、私は主にフォークとジャズを自分の担当にしていきました。



VOL.841 * 2024/06/03


「ぼくの海 Children of the Sea」 アグネス・チャン

今朝は5時起きで全米女子オープンゴルフの最終日の中継を後半に入る頃から
TV観戦しました。メジャー大会のサンデーバックナインといえば、それまで好位置に
付けていた日本選手も連日の難コース連続に力尽きて徐々に後退する様子を今まで
何度も目にしましたが、今大会は史上最多の14人の決勝進出者がみんな元気で、
最終から三組目でスタートの笹生優花が優勝、二組目の渋野日向子が単独2位。
熊本出身の若手、竹田麗央もスコアを伸ばし9位タイに食い込みました。TVを見て
いて驚いたのは日本選手が映る時間の長さもですが、上位で回る外国選手も
ほとんどがアジア系など非アングロサクソンだったことです。笹生選手がフィリピン
生まれなこともですが、世界で活躍する日本国籍アスリートが国際的な血筋を
持つことが多くなっていることも良い傾向だと感じます。国の壁を越えて行き来する
人たちが日本の社会でどんどん普通になっていくことを願いたいものです。
表題曲は「広い海がおまえのふるさと」のフレーズが印象的な1998年の名曲です。



VOL.840 * 2024/05/19


「架線の風景」

日本TV系の日曜朝番組「所さんの目がテン!」で今朝は「架線がないから絶景が
堪能できる」と題して非電化のディーゼルカー路線にスポットを当てていました。
一般に都会育ちの人は鉄道列車を総じてデンシャと呼ぶことを当たり前にしがちです。
その感覚でたまに旅行先などでローカル線に乗り、架線の柱が無い開けた景色に
気付いて感心したりします。私の幼少青年期は地元の国鉄線が電化されたり大都市と
田舎を行き来した時期なので、はっきり言って架線のある鉄道が憧れだったのです。
特に鉄製の門型の架線柱が並ぶ私鉄の高架線などは都会の象徴として好みました。
乗客として乗る時にも、静かになめらかに発車する電車の乗り心地が嬉しくて、
エンジンをうならせてガタガタと加速するディーゼルカーは疎ましかったものです。
長じて熊本で暮らすようになった時、木製電柱の架線の下を都会の中古電車が
走る熊本電鉄を見ると、わが身にふさわしい風景かもと思ったりします。


北熊本駅で接続する三方向の車両 2014年1月撮影
熊本電気鉄道 北熊本駅



VOL.839 * 2024/05/08


「サークルゲーム」 ジョニ・ミッチェル

旧約聖書の士師記16章にサムソンとデリラの物語があります。「キリスト出現以前の
古代イスラエルで士師(裁き人)だったサムソンがガザの娼婦デリラを愛するようになり
ペリシテ人の領主たちの謀に落ちて足かせに繋がれる。大きな宴席で見せ物にされた
サムソンは神の霊力によって会堂の心柱をへし折り三千人からのペリシテ人を道連れに
建物の下敷きなって死ぬと。」旧約聖書の中にはこの他にも異教徒が神の意思で死ぬ
話が多数あります。ペリシテ人はフィリスティアとも呼ばれパレスチナの語源と言われます。
私達がサムソンと聞いて韓国の財閥くらいしか思わないのと異なり、キリスト教文化圏の
人々はキリスト以前のユダヤ人が異教の民を人と思わなかった物語に触れています。
現代イスラエルの指導者ネタニヤフがパレスチナと同居せず排除したがる危険と、
それを支援する政治経済上の大きな力に加担したくないと考える学生たちがコロンビア大学
はじめ米国の名門大学で抗議活動を行っています。「いちご白書」の時代には日本でも
多数いたラディカルな政治青年が今の時代にあまりに少なすぎるのではないかとの
意見がおじさん世代に散見されます。でも見方を変えてみればジェームス・クネンや
ジョニ・ミッチェルは今のアメリカの若者に尊敬されていても、「いちご白書をもう一度」を
懐かしがって酒場で盛り上がっている日本のオジサンおばさんはカッコ悪いかもね。




VOL.838 * 2024/04/21


「記憶の気動車」

私自身の回想の極限を遡るとたぶん四歳になるかならぬかの頃だと昔から意識して
います。自宅のそばに鉄道があり、そこを通る国鉄気動車の色が最初は黄土色と
群青色に塗分けられていて、すぐにクリーム色と朱色に代ってそれは長く続きました。
調べてみるとキハ17型の塗色変更は私の四歳の誕生日頃と重なるのです。その車両
は延岡駅から分岐する日ノ影線の列車だったと思われ、路線は国鉄時代末期に分離
されて第三セクターの高千穂鉄道と名を変えたのちに2005年の台風14号の五ヶ瀬川氾濫
による甚大な被害で廃線に追込まれます。昨日放映されたNHKTVのプロジェクトXでは
同じ三セクの三陸鉄道が震災後いちはやく短い区間の運航再開を希望のともしびとして
驚異の粘り腰で全線復旧にこぎつける様子が描かれていました。今にして思えば高千穂
鉄道も延岡〜川水流の運転再開を基盤にすべきところを機運が上げられずに諦めが
先行してしまったのでした。その後2016年の熊本地震で傷ついた南阿蘇鉄道が可能な
区間から運転再開して昨年全線復旧したことを思えば、三陸鉄道のお手本があれば
高千穂鉄道も存続の道が開けたかもしれません。今できることといえば南阿蘇鉄道の
後を追って懸命にクラウドファンディングも含めて頑張っているくま川鉄道を応援する
ことと共に、行方の定まらないJR肥薩線の山線(人吉〜吉松)も含めて活用する道を
拓くべく知恵を集められればと考えます。全国の鉄チャン同志の皆様、どうぞよろしく。




VOL.837 * 2024/04/08


「平安貴族の日記」

五木寛之が2020年に出した新書「回想のすすめ」(中公新書ラクレ)を読んでいたら
「京都の大学へ聴講生として通っていた頃、授業で平安時代の貴族の生活を教えられ
たことがあった。当時の貴族の日々の仕事のうちで最も大事なことは、日記を書くこと
だったらしい。」
の一文に出会いました。実は私もその大学の国文を出た身なので
感慨深くもあるのですが、平安を扱う中古文学を「ちゅうぶる」と軽視していたので
真面目に聞いておけばと後悔しています。昨日の大河ドラマ「光る君へ」の中でも秋山竜次
が扮する藤原實資が政を嘆くと女房が「日記にお書きになれば」とたしなめていました。
實資の日記は「小右記」として実在し、このドラマの重要な資料にもなっているようです。
そして昨夜の回では出家した兼家が病床で妻の一人である藤原道綱の母に対して
彼女の書いた「蜻蛉日記」から百人一首にも載った「嘆きつつひとり寝る夜の…」の歌を
褒めるくだりもありました。彼女は晩年都を離れていたようなのでフィクションの部分なの
でしょうが、当時の貴族社会の中での文学的繋がりが感じられて興味深いものです。




VOL.836 * 2024/04/02


「NHKドラマ」

年度替わりということで色々な変化を伝えるニュースが多いです。4月1日付けで社名変更
する上場企業が12社もあります。朝から目にする新聞小説やTVの連続ドラマもこの季節
になるとどれに付き合うか迷ったりしますが、短期と長期の記憶を整理しながら楽しめば
確かに脳の老化防止にもなるでしょう。NHK朝ドラマ新作は「虎に翼」ですが、朝は別に
「オードリー」再、昼に新規枠で「ちゅらさん」の再々放送を始めました。他にBS12では
「ゲゲゲの女房」、CS系のファミリー劇場では朝「花子とアン」昼に「朝がきた」と並行して
流すのは朝ドラのコンテンツとしての強さがうかがえます。さすがに全部視聴していては
身が持たないので再々放送ものはスルーすることにします。それに加えて大河ドラマの
「光る君へ」も日曜と土曜に見ています。登場人物の役名および読み仮名・役職と
俳優の名前をどれだけ言えるか結構な試練ですがチャレンジで付いていくつもりです。




VOL.835 * 2024/03/18


「なごり雪」 伊勢正三

ちょうど五十年前に学生の私が上洛をはたした時に乗った列車は急行日南だったと
思います。窮屈なボックス席で座って眠るのに懲りて、以後の関西九州の行き来は
主にフェリーを使いました。当時に在って間もなく廃止になった東京九州の急行列車に
は「高千穂」がありました。この季節の名曲「なごり雪」はおそらくこの列車がモデルと
思われます。冒頭「汽車を待つ」とあるのは1970年代とはいえ勿論SLではなく機関車が
牽く客車列車を指しています。東京駅ホームで群青色の客車の窓から同郷の女友達と
別れるシーンは、自由な学生から決められたレールに乗せられるこれからの変化を
象徴しているのかもしれません。時刻に従う列車は時の流れの暗喩でもあり、同級生
との長い付き合いの中で見落とした「美しくなった君」の変化の前で無力な男の後悔
のようなものも感じられます。午前11時半に動き出した列車は翌日の10時頃に大分県
津久見の駅にようやく着きます。つらい長旅に耐えた彼女はのちに寝台特急や飛行機
を自由に使える暮らしを手に入れられたでしょうか。幸せに年老いていますように。




VOL.834 * 2024/03/04


「光る君への街」

1975年の今ごろ長岡京の仮住まいから「遷都?」を試みた私は、資金稼ぎのために
アルバイトをしていました。京阪と国鉄奈良線の東福寺駅にほど近い疎水沿いにある
古びた染物工場は学生課の掲示で見つけたのでしょう。プリントを刷る前の生地反物は
大きくて重い物で、専用の什器で扱うことが肉体的重労働だった記憶があります。所定の
期日までは何とか勤めましたが、延長を勧められても即答で断ってしまいました。帰りの
駅へ向かう道で東山九条に聳え立つ京都赤十字病院が見えましたが、今になって思えば
平安時代の悲田院・施薬院の所在地という由緒があるんですよね。ちなみに昨日の
大河ドラマ「光る君へ」に登場した検非違使庁の場所は今の上京区堀川丸太町上ル、
京都府庁の西側にあったようです。そこからまっすぐ南へ下ると藤原兼家の主邸である
東三条殿があったわけで、さらに同じくらい南に下れば私の通った大学がありました。
藤原道長や紫式部も歩いたかもしれない場所で過ごす感慨は当時は薄かったかも
しれません。全学ストでレポート試験になった源氏物語集中講義の単位は貰いましたが。




VOL.833 * 2024/02/12


「 花水仙 」 八代亜紀

アメリカンフットボールの試合といえば後半も半ばになるとリードしたチームの勝利確率
が八割を越すようなゲームも多いのですが、最高峰のスーパーボウルに限っては近年
最後までどちらに転ぶか分からない接戦が不思議と続きます。去年が残り時間十秒から、
今年は延長戦の残り三秒でKCチーフスが連覇を決めました。お金のかかったイベントと
しては十分満足な内容でした。去年も触れたと思いますが、NHKはBSを一波に減らした分
スーパーボウルの中継ぐらい復活させろよと言いたくなります。話は変わりますが今年は
年明け早々アーチストの訃報が相次いでいます。私にとっても八代亜紀さんやメラニー、
そして小澤征爾までそれぞれに印象深い音楽が思い出されます。表題曲は大学の
三回生くらいに歌詞にあるような路地裏のアパートでラジオから聴いたのか、駅そばの
商店街に流れていたのか、後ろサビ♪一年のみじかいくらしを懐かしみ という部分が
色々とすれ違いもあった思い出と重なってしみじみと思い出されます。



「 花水仙 」 作詞:池田充男 作曲:浜圭介



VOL.832 * 2024/02/04


「X-15ロケッティ」

山下達郎さんのFMラジオ番組の中で「達郎さんが誕生日に貰って一番嬉しかったもの」
という質問に、小学生のころに貰ったX-15のプラモデルと答えていました。X-15の話は
前にも一度されていたような気がしますがよっぽど好きだったのでしょうね。1960年代
前半に特に少年に注目された世界最速の飛行機がエックスジュウゴと呼ばれてました。
米軍のB-52爆撃機の翼の下に収まる小型の単座実験機で上空でロケットエンジンに
点火して母機を離れマッハ6.7の極超音速と高度10万mを越す記録を出して、NASAの
宇宙開発に貢献しました。私らはプラモデルではなく、バルサという軽量木材の機体に
3センチ程の円筒形の金属に固体燃料を詰めるロケッティという模型ロケットエンジン
を取り付けて手投げで高速飛行させる遊びをやった思い出があります。調べてみたら
タイガー製作所という会社が売っていたキットだったようです。記憶が定かでないのですが
水中でも燃焼するという特性を生かしてボートに付けるタイプもあったような気がします。



VOL.831 * 2024/02/01


「ジャカランダの花」 小暮はな

本日のNHK中波ラジオ「ふんわり」9時台で放送された六角精児「はじめてのファド」が
なかなか良い内容だったので、らじるらじるの聴き逃し番組で一週間内に探してみられる
ことをお勧めする次第です。去年同じコーナーで表題曲が紹介され、同時期にはFMの
ゴンチチの番組でも掛かったので気になってはいましたが、日本のファドも概説して
ちあきなおみ歌唱のファドにも触れるなど充実した内容でした。それと番組では出て
きませんでしたが、私が思い浮かべたのは2011年頃いしいひさいち作「ののちゃん」に
登場した謎の歌手「吉川ロカ」のことです。朝刊の四コマ漫画に不釣り合いな異色さが
災いしたか作者曰く「新聞のコアな読者にはたいへん評判が悪かった」そうで3月24日付
をもって終了させたそうですが、(笑)いしい商店から単行本「ROCA」が販売されていて
特設サイトから「吉川ロカ ストリートライブ」が立ち読みできますのでお勧めします。



VOL.830 * 2024/01/21


「北国行きで」 朱里エイコ

前回のコラムで紹介した学生時代の金沢旅行が1974年の9月のことでしたが、早朝の
七尾行きで乗ったのは珠洲まで行くディーゼル急行でした。能登半島の先端の街が
「すず」と呼ぶ地名だと知ったのは二年前の高校時代のことです。1972年の冬休みに
地元の松竹系の映画館で寅さん映画と二本立てで見たのが「喜劇・快感旅行」だと
メモ帳に書いてあります。その映画の中で北へ向かう列車のシーンで挿入されたのが
同年にヒットした表題曲だったのです。昭和の日本映画のジャンルとして歌謡曲映画が
あってヒット曲をテーマに歌手が主役として出るのが普通でしたが、調べてみると本作は
喜劇映画の色どりとして歌手とヒット曲が差し込まれたという形だったようです。女優では
倍賞美津子や光本幸子がメインだったようですが、私の記憶に残ったのは朱里エイコと
珠洲という地名だったのです。朱里さんは早くに亡くなり、今回は珠洲市が大きく傷ついて
しまいました。どうか良い形で復興できますように祈っております。



「 北国行きで 」 作詞:山上路夫 作曲/編曲:鈴木邦彦



VOL.829 * 2024/01/19


「石川県中央公園の鯨の樹」

私は石川県の金沢には愛着を持っています。父親の転勤で小学校一年の秋から
一年間、金沢市の野町という所で過ごしました。豪雪と称された大雪と、そのあとの
光り輝く夏の日々の印象が残りました。大学生になって自由に旅が出来るようになると
真っ先に金沢を訪れます。大阪発の夜行急行が早朝に金沢へ着いたので暇つぶしに
支線に乗って七尾の漁港の風景を見たりしました。日中には懐かしい金沢城や
尾山神社を歩いたあと中央公園の芝生に寝転んでぼんやりしたものです。そのころ
大江健三郎の「洪水はわが魂に及び」を読んだばかりだったので、公園の広場の
中央で独り聳える太い樹木を見て「これが鯨の樹にちがいない」と考えたりしました。
そんな愛着のある石川県が大変なことになっています。熊本地震が断層の横ずれ
だったのに対して、能登は鏡餅がひび割れしたようになったようで、水道の復旧さえ
容易じゃないでしょう。そして炙られた餅が膨らむように半島が隆起したようで、
よそ者が安易に考えてはいけないことかもしれませんが、住み方の根本的な見直し
が必要かもしれません。九州で力になれることがあるなら協力したいと思います。



VOL.828 * 2024/01/03


「正月羽田の奇跡」

元日・二日と九州は好天でしたが、私は散歩以外は家にじっとしていました。慌ただしい
ニュースは突然聞こえてきました。元日の16時過ぎにTVから大津波警報の報せが。
気象庁のサイトで震度分布を見ると能登の震度7を始めとして東京の震度3など広域に
拡がる表示に地震の凄まじい規模を感じました。女性アナの強い口調で呼びかける
「高いところへ逃げること!引き返したりしないこと!」の繰り返しに胸が痛みました。
そして昨日は18時前に夕食の準備が出来てNHKを入れたらちょうど空港カメラに炎が
映し出されたところでした。最初は羽田空港で火災がという一報でしたが、別のカメラに
代って日航機から発火している絵になって仰天しました。少しずつ周辺情報が明かされて
事故の概要がつかめた30分後くらいに、乗客全員脱出の情報を聞いてほっとします。
今から58年前私が小学四年の冬に同じく千歳から羽田へ向かった全日空機が着陸前に
墜落し、さらに一月後にカナダ太平洋航空機が羽田のC滑走路に着陸時に炎上する
など悲惨な飛行機事故が多発したことがありました。今回の事故原因はまだ謎ですが
日航機が衝突で炎を浴びながらも滑走路をほぼずれずに停止して、適切な避難誘導
がなされた点は本当に良かった。ハドソン川ならぬ羽田34Rの奇跡と賞賛します。

 


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