「鹿児島スイッチ」
九州新幹線がまだ新八代から先だけの部分開業だった2007年にJR九州がやった
鹿児島スイッチというキャンペーンがありました。小西真奈美さん扮する福岡のOLが
ふとしたはずみでスイッチがONになり鹿児島へ行きたい欲求が抑えきれなくなり
あっという間に新幹線の車中の人になる設定でした。今年鹿児島県の新知事になった
三反園訓さんの脱原発姿勢を支援するために「新鹿児島スイッチ」を提唱します。
知事の申し入れに従って九電が川内原発を停止したら、鹿児島スイッチをONにします。
鹿児島県外から知事を支援したい人々がいっせいに鹿児島に旅行したり、鹿児島
県産品を購入したりして後押しするのです。もしも原発が再度運転を再開したら
当然スイッチはOFFにしますけどね。旅行したら行く先々の観光地・ホテルなどの
アンケートに「原発停まったから鹿児島に来ました」と記入しましょう。
ネットショップのレビューにも同様のコメントを記します。東京有楽町などの
アンテナショップで買い物する際には店の人に反原発支援の気持ちを発信しましょう。
熊本人への個人的なオススメとしては6千円ちょっとの高速バスの往復切符を使って、
市内観光の帰りにさつま揚げと芋焼酎を車中でのんびり楽しんで一眠りすることです。 |
VOL.701 * 2016/08/20
「夏よお前は」 ベッツィ
&クリス
今年の夏の暑さは、梅雨明け以来ほぼ休みなくストレートに照りつける直球の暑さです。
熊本市内では曇りや夕立もまれで、午前中から夕方までしっかり陽光に炙られます。
ここ数年は真夏の期間が短い傾向もあったのですが、今年の長い猛暑は、地震疲れ
した熊本県民にはちと過酷です。新聞をふと見ると長崎県の白亜紀の地層から、
大型のカメの化石が出たそうで、当時は東南アジアに近い亜熱帯気候だったとか。
そこまで過去にさかのぼらずとも、縄文海進とか平安海進などと周期的に海面上昇を
ともなう温暖化現象は歴史に詳しい人たちには常識になっているようです。
表題曲はポップス風な歌謡曲を多数手掛けた井上かつお氏の1970年の作品。
当時坊主頭の中学生だった私が覚えたたてのギターで弾き語りした曲たちのひとつ。
大阪万博の盛り上がりを東京の深夜放送を経由して追っていたことは覚えてますが、
あの年の夏に、どんな格好で、どんな所へ出没していたか、記憶はおぼろです。 |
VOL.700 * 2016/07/17
「初めての街で」 西田佐知子
先日ついに往生された永六輔さんは、私の幼少期から青年期にかけて耳になじんだ
数々の歌謡曲を残しておられます。大災害や多数の命が失われる事件・紛争が
世界のそこかしこから報じられる今にふさわしい「生きるものの歌」などという
人の世の無常を正面から歌い上げた作品も随分前に自らの歌唱で残しています。
でも永さんの作品から今一曲選べと言われたらと考えたところ、CMソング起源の
表題曲に行き当たりました。♪はじめてーの街で いつものー酒 …こんな出だしで
最後は、やっぱりー 俺は 菊正宗 といえば誰もが思い当たるあの曲です。
シングル盤バージョンでは六番まであって、それぞれ「はじめての○○で いつもの酒」
の上の句に対応する下の句がセットになる構造で、中村八大のしゃれたアレンジ
のお陰もあり、日本酒の魅力が若い世代に浸透する一助になった作品です。
永さん今ごろ「初めてのあの世で いつもの酒」なんて一杯機嫌で口ずさんでるかと
思いましたが、たしか小沢昭一と永六輔はお酒飲めなかったんですよね。 |
VOL.699 * 2016/06/19
「それはスポットライトではない」 浅川マキ
1995年1月の阪神大震災直後のプロ野球シーズンは、被災地のフランチャイズ球団
オリックス・ブルーウェーブが「がんばろうKOBE」を合言葉に驚異の快進撃を続け、
7月末にはマジック点灯という今のソフトバンク並の独走でパリーグ優勝を決めました。
イチローのヘルメットに描かれた「がんばろうKOBE」の文字は今も記憶に残っています。
その後、東日本大震災を経て今の熊本県内あちこちにも「がんばろう熊本」の文字。
ちょっとひねって「がまだすばい熊本」とか「くまもと がんばるモン」の表現もあります。
前回、ヒネクレモンの使命感もあって脱力系の選曲をしたのに続き、頑張らないで
なおかつ徐々に前向きになれる音楽を捜してみました。学生時代に度々聴いた
ロッド・スチュアート作品の日本語盤(当時はカバーなんて言わんかった)です。
♪もしも光が またおいらに あたるならそれを どんなに待ってるか
…スポットライトでなく ローソクの灯じゃない まして太陽の光じゃないさ
あの光そいつは あんたの眼に いつか輝いて いたものさ
40年前の自分の眼にどんな光が輝いていただろうかとこれから自問することにします。 |
VOL.698 * 2016/05/20
「山羊にひかれて」 カルメン マキ
頻度も強さも弱まったとはいえ余震の最初のひと揺れを感じると自然に身構えて、
背骨から胃の辺りにかけて不安の伝達物質が走るのが感じられます。表面上は
充分に地震に慣れた風に振舞っても、みえない精神的な疲労が溜まった熊本人が
多いだろうと感じております。こんなときに身構えた精神をときほぐすような歌は
ないだろうかと記憶をたぐってみたら、1969年の表題曲を思いつきました。
「時には母のない子のように」に次ぐセカンドシングルだったように思います。
♪やぎにひかれて ゆきたいの はるかな国まで ゆきたいの… 山のむこうに何がある
寺山修司の歌詞は脱力感に満ちて慰安の世界へしばし誘ってもらえます。
ところで田畑の除草や乳用として山羊を飼う農家もありますが、ペットとして飼育する
可能性はあるのかなと気になりました。別に市街化区域では規制されるなどの
決まりは無いようですが、犬のように首輪でつなげない(息がつまる)ので、
柵に囲われた広めのスペースが必要なため、都市部では難しいようです。 |
VOL.697 * 2016/05/05
「中川誠一郎を讃える」
本年度から黄金週間に開催時期が変わった競輪最高峰のレース「日本選手権」は、
今回は「被災地支援競輪」のタイトルが冠せられ静岡競輪場で本日決勝戦を
迎えました。特別競輪(GT)の決勝に乗る9人に加わることでさえ大変なことなので、
熊本所属の中川誠一郎選手が準決勝を突破して先ずは喜んでいました。
それがです、なんと優勝してしまったのです。先月の14日以来地震に翻弄されて
今でも時々揺れている熊本の地に、久しぶりに歓喜の報せがもたらされました。
今まで実力は有りながらも、ここ一番でレースの駆け引きに敗れたりして
最上ランクのSS級に近づくことも出来なかったのですが、今日の優勝で早々と
来年の昇級も確定させました。レースの流れが向いた幸運もありましたが、
一瞬のチャンスが巡ってくるのを辛抱強く待っていたことが勝因なのでしょう。
被災した熊本競輪場の復旧の困難さにめげてしまいそうな関係者にも
勇気をもたらす出来事ですし、リオ五輪の代表でもある中川選手が
8月に向けて競技に専念するためにも最高の結果だったと喜んでおります。
追記:5月10日の函館開催での女子決勝で妹の中川諒子選手が優勝しました。
すごいぜ、中川家! |
熊本競輪場での中川選手の姿(2014年) |
VOL.696 * 2016/04/24
「熊本が恵まれたこと」
昨日は午後の3〜5時くらいの雨のやみ間を選んで、屋根の応急処置をしました。
家内のつてで専門家に一人来て頂き、お隣からはしごを借りての作業です。
私は怖くて屋根には登れずはしごの上段まで物を届けるぐらいしか出来なかった
せいもあり、瓦のずれを直して屋根全体にブルーシートをかける作業は6時半頃
ようやく終了しました。再び降りだした雨にだいぶ濡れてしまいましたが、当分
雨漏りの心配をしなくて済むので一安心です。落ちて砕けた瓦の補充がいつになるかは
わかりませんけど。それにつけても思うのは3.11の被災者に較べれば、我々は
津波・原発事故に遭わなかった点でとても恵まれています。2011年3月14日に
当コラムでも「東日本の皆さん、どうか雨にぬれないで」と呼びかけましたが、
余震の続く中、壊れかけた家で雨に濡れないでいることが、いかに困難か
身にしみてわかりました。まして放射性物質を含んだ雨が雨漏りしたら
あとで天井裏の除染など不可能ですから、家を捨てるしかないことになります。
熊本市の南南西、直線距離120kmほどに稼動中の原発があります。
安倍総理が被災者の屋内収容にこだわったのも思慮深いご配慮だったのでしょうか。 |
VOL.695 * 2016/04/21
「本震の夜に」
降り続く雨の下、今日は片付け作業もなにもかもお休みです。本震で瓦がずれ落ちて
いるので、救援物資のブルーシートを手に入れましたがまだ被せられずにいます。
雨漏りを受ける容器の見守りをしながら、忘れないよう地震直後の様子をメモしておきます。
熊本市中央区での揺れ方ですが、まあ一言でいえば絶叫マシンで揺さぶられている
ようなもんです。ごていねいに轟音と、遅れて鳴り出した緊急地震警報の効果音つきです。
しかもやっと収まりかけたと感じさせておいて第2弾、第3弾と揺れがやって来るのです。
これには何というか悪意とか殺意さえ感じましたね。ブレーカー落として懐中電灯を持ち、
ほんとんど寝巻きのような格好で道路へ出たら、同じようなタイミングで近所の人達も
出てきて合流し、数十メートル先の医院の駐車場へ向かいました。車止めに腰掛けた
状態で今度は震度6の揺れもありましたが、屋外のほうが確かに怖さが少なかったです。
県道に面しているので車のライトが時々動いて、あとは星がきれいな夜でした。
すぐそばに選挙のときには投票所にもなる集会所が開いたので入れてもらい、朝は
そこで迎えました。毛布だけもらって外に居続けた人もかなりいたようです。
集会所備え付けの座布団、毛布、非常食、救急箱などが大活躍です。飲み物は
周辺の自販機が生きていて水、お茶が人気でやがて売り切れましたが、甘い炭酸
ドリンクなどは残ったようです。幸い停電がすぐ復旧したのでTV・ラジオから情報は
充分もらえました。この集会所はいわゆる指定避難所ではなかったので備蓄の
非常食を使い切ったら食事と水の配給は基本的になかったのですが、何といっても
自宅に近いのが安心できて、その後ふた晩ごやっかいになりました。
自治会の役員や婦人会の方々の労をいとわぬ的確な働きに心から感謝いたします。 |
VOL.694 * 2016/04/18
「阿蘇大橋崩落の原因」
大地震の翌朝、避難した団地の集会場のTVで阿蘇大橋崩落の一報に接しました。
ヘリコプターからの映像は最初べつの長陽大橋のひび割れを映したので、誤報も
疑われましたが、崩落現場が見つからないほどきれいさっぱり阿蘇大橋は消滅
していたのです。実家の延岡と行き来する時に私もよく通る交通の要衝です。
翌日の新聞各紙は一面に現場の詳細画像を載せたので気がつきましたが、
着目して欲しいのは東海大農学部側の橋台は残っているのに国道57号側は、
崩れた土砂で橋台がほとんど見えないことです。立野ダム関連の本で知ったのですが
阿蘇大橋の両岸の地質はまったく異なっていて、国道57号側では橋台の基礎を
どんなに深く打ち込んでも溶岩質の崩れやすい地質のため、表層の土砂崩れの
圧力によって下へずれてしまったと思われます。さらにもうひとつの要因が
橋を少しずつ崩落に向かわせていました。橋の下に断層があるので両岸は
別々の方向へ動こうとする力が働いていて、ある調査によると50年間に約1m
もの乖離があるそうです。この話を聞くと素人でも橋の再建は困難を極めそうな
ことが想像できます。さしあって問題になるのは東海大学の孤立についてです。
観光客の輸送は俵山ルートと南阿蘇鉄道を充実させるのが現実的でしょうか。 |
VOL.693 * 2016/04/03
「ブラタモリと立野ダム」
NHK-TVで昨夜放送のブラタモリ#35「水の国・熊本」は、ご覧いただけたでしょうか。
阿蘇の外輪山の西側に広がる台地の中に潤沢な地下水層が湛えられ、その大地の
先端部で地下水盆が傾き水が滴り落ちるまさにその場所に熊本の街があるのだという
ことが、とても分かりやすく説明されました。番組後半で紹介された加藤清正の造った
「鼻ぐり井手」に関する逸話には思わず吹き出しました。白川の河岸段丘上の農地に
水を送るため上流から水を分け、本流に並行する用水なのですが、水に含まれる
火山灰が沈殿しないように清正は水が渦を巻く水路の特殊な構造を多数設けました。
今から400年前の偉大な知恵の遺産だったのですが、200年後の江戸時代の役人が
意味を理解できずに障害物として半分ほどわざわざ撤去したということを今回はじめて
知りました。当時の古文書に「馬鹿な役人がいらんことをする」と書かれているそうです。
私が笑ったのは、400年後の役人もまさに阿蘇でいらんことをやろうとしているからです。
白川の水が増水時には「黒川」になることを地元の人は皆知っています。ヨナと
呼ばれる火山灰土が沈殿するとどれだけやっかいなものか清正は分かっていました。
阿蘇ジオパークの玄関口にヨナが溜まって莫大な浚渫費用を喰うと予想される
立野ダムを巨費を投じて造ろうとするバカ役人 を何とかして止めさせたいのですが。 |
VOL.692 * 2016/03/12
「生きる価値を伝える努力」
今日は我家から自転車で10分で行ける近さの熊本県立劇場へ出向いて、
姜尚中氏の館長就任講演会を聴きました。二千人弱のキャパシティの
ホールが満席だったのは、ゲストの行定勲監督が言うように、姜さんの個人的
魅力による集客力が大でしょうが、私も含めて多かった高齢層の聴衆は、
先輩館長の鈴木健二氏にも増して熊本の文化シーンを刺激してくれる期待を
熱く抱いている のだと思います。講演・座談で印象に残った部分を紹介します。
■ 芸術が私たちの心をうつのは、実業社会で、競争社会で味わえないものを
提供してくれるから。感動を分かち合う「人のコミュニティ」が劇場。
■ 経済が悪くなると真っ先に削られるのが文化に対する税金支出。
■ 歳を取った世代のほうが映画でも何でも良い時期のものを観て知っている。
生きる価値の共有につながるような良い音楽・芸術を若い人に伝えるべき。
未成年の若者が一見短絡的な理由で殺人したり、自殺したりする事件について
当事者の親や教師を遠くから非難しても空しいばかりです。今日考えたのは、
もっともっと、若い人たちに広い世の中の可能性や、限りないほどの文化芸術に
触れる期待と喜びを伝える努力をしなければいけないなということです。 |
VOL.691 * 2016/02/14
「青蛙の引退」 旧東急5000系
自分と同じ頃に生まれて、大手私鉄の主力として働き、その後地方私鉄に転籍して
単独で支線を行き来する毎日を送ったあと、不定期の勤務に就いていた電車が、
今日現役を引退します。昭和30年代に流行った前面二枚窓のやや流線型をした
スタイルは、国鉄の湘南電車や電気機関車と通じるものがありました。青蛙色の
電車といえば京王井の頭線にもありましたが、東急のは下膨れした顔つきが
いかにもなので、青ガエルといえばこの5000系が特に有名です。渋谷駅前にも
展示されているようですが、台車の無い状態では迫力に欠けるようで、今後は
熊本電鉄の北熊本駅構内で動態保存される5101A号に会いに訪れる鉄っちゃん
も多いことでしょう。私個人の考えとしては、学生時代にお世話になった京阪の
2000系シリーズのほうが側面の下膨れ具合や二つ目の前照灯で青蛙っぽさ
が勝っている気がします。こちらは改装されまだ現役を続けているようなので、
私もあとひと頑張りして、彼の引退までには会いに行こうと思っております。 |
VOL.690 * 2016/01/10
「衆参同日選の愚」
今年の7月に改選時期が来る参議院の半数と同時に衆議院選挙が実施できるように、
首相が解散を行うのがいわゆる「衆参同日選」ですが、自民党の総務会長の談によると
「安倍さんは、やりたいと思っていることはまちがいない」のだそうです。マスコミ各社も
可能性を報じることはしますが、実現に無理があることを報じないのはなぜでしょう。
前回おこなわれた同日選は1986年の7月ですが、今より選挙制度が単純なものでした。
今度の7月に同日選をやるとすれば、投票用紙の交付を受けて衝立の中で記入をし、
投票箱に入れる作業を5回繰りかえすことになります。ただでさえややこしいのに、
期日前投票所は市区町村ごとの管理ですから、同じ投票所で違う選挙区の投票箱が
必要になる可能性が生じます。特に都市部は人口配分の調整のため区割りが複雑で、
それが衆参違っていますから、一つの投票所で十個以上の投票箱を使い分ける
という事態も生じます。投票者も管理者も間違いが生じないと考えるほうが無理です。
そしてなにより同日選をやってしまえば、たとえそれがどんな結果になったとしても、
主権者である国民は3年もの間は国政選挙の機会を持てない事になるのです。
ただでさえ片寄った選挙結果になりやすいのに新政権に白紙委任を強いられ、
さらに選挙期間中は国会議員が異常に小数になるという政治空白の不安など、
あまりにも問題の多い同日選。論じるのに値しないと声を大にしてバカにしましょう。 |
衆参同日選の
5枚の投票用紙例
(実際の用紙は縦書き) |
参議院地方選挙区
候補者の氏名を欄内に一人書くこと |
参議院比例代表選挙
比例代表区の候補者氏名または
政党などの名称もしくは略称の
いずれかを欄内に一つ書くこと |
衆議院地方選挙区
候補者の氏名を欄内に一人書くこと |
衆議院比例代表区
政党などの名称もしくは略称を
欄内に一つ書くこと |
最高裁裁判官国民審査
やめさせたい裁判官については
その名の上の欄に×を書くこと |
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