コラム

OYAJI NO UTA

by 安藤弘志

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オヤジのうた曲名リスト

VOL.204 * 2004/12/31
 


「海に降る雪」 太田裕美

傷だらけの2004年が終わろうとしています。特にインド洋の津波被害は
災厄という言葉を当てたいような状況で、新年を迎えるにあたって我々も
何が起きようとうろたえない覚悟が必要でしょう。人の命がはかないものなら
なるべく人を赦そう、そんな事も想ったりしています。ところで表題曲は
太田裕美の1980年のアルバム「十二月の旅人」の中の1曲です。
海の上に降る雪は積もれない、あたりまえのことですがそれを見つめる
若者の心の内面が寒さとともに伝わってきます。ストリングスの
アレンジも素晴らしく、けっこう感動的な仕上がりだったと思います。


VOL.203 * 2004/12/30
 


「ザ・ナイト・ビフォア」 ビートルズ

ウィッセラー グッバーイ で始まる2分半のロックンロールですが
ポール・マッカートニーのボーカルと掛け合いのコーラスのかもし出す
雰囲気がビートルズでしか有りえないという独特の響きです。
男の子が彼女と夜に話をして、それなりの手ごたえとムードを感じて
ヤッターっと思ったら翌日はうって変わってどうにもつれない素振り、
そんないかにもありそうな展開に翻弄される男心をなんとも楽しく
歌ってくれます。シングル盤は1965年の秋に出たと思いますが私は小学生。
お風呂屋さんの帰りに電気屋の前で流れていたような記憶もあります。



VOL.202 * 2004/12/29
 


「近江の子守唄」 高石ともやとザ・ナターシャー・セブン

1972年にこの曲を聴いた高校生の私が考えたこと。
赤い鳥の「竹田の子守唄」(京都市伏見区)、高石ともやの「近江の子守唄」(滋賀県)
どちらも近畿地方で子供が赤ん坊の守を労働としてさせられていた時代の曲。
日本のフォークソングとして古謡を美しくアレンジして現代人の心に響かせるのは
素晴らしいこと。…今あらためて調べてみて半分当たって半分的外れだったと
感じています。「竹田」の原曲は確かに当地の伝承に基いていますが、「近江」は
60年代に現地の若者が創作したものを高石が発掘しています。やがて数十年の単位は
問題にならなくなりどちらも20世紀のフォークロアとして歌い継がれれば良いのですが。



VOL.201 * 2004/12/28
 


「イッツオールライトウイズミー」 エラ・フィッツジェラルド

1953年にコール・ポーターがミュージカルのために作ったテンポのいい曲。
間が悪くても、顔が変でも、笑い方がおかしくても私にとってはオールライトという
ハートロジャース作の「マイファニーヴァレンタイン」にも似たいかにも
ブロードウエイらしい高らかなラブソングです。もともとはフランク・シナトラ
当たり曲だったようですが、私にとってはなんといってもエラおばさんの軽快な
スイングのためにあるようなナンバーです。若い頃から歌いこんで様々な
録音が残っていますがピークはやっぱり70年代。サンタモニカ市民会館の
カウント・ベイシーとの共演が白眉、ただし現在は入手困難のようで残念です。



VOL.200 * 2004/12/27
 


「サム・フィーリング」 安田南

1970年代の「時代」をぴったり表現しすぎたために、その後の時代には
余り語られなくなった存在。オジサン達もともすれば忘れがちなミナミの姐さん。
でも、片岡義男とのFM番組「気まぐれ飛行船」や、映画「赤い鳥逃げた?」の音楽、
山本剛トリオ+1との名盤「South 」と次々に並べていけば記憶は段々と
甦ってきます。日本語ロックとジャズの隙間の部分に、あの時代だけ存在した
不思議な空間を動き回っていた人という印象です。表題曲は
「 Some Changes 冷たい朝にやって来る 正体不明の… Something New 」の
歌詞とともに三連符の不安がたたみかけるようにせまります。「私の正面 だれ?−」



VOL.199 * 2004/12/26
 


「風と共に去りぬ」 ウェス・モンゴメリー

封切り映画のタイトルでインクレディブルという単語を良く耳にするようになりましたが、
INCREDIBLE とか AMAZING などどいう仰々しい枕コトバは昔からジャズの
アルバムタイトルでよく使われてきました。表題曲はウェス・モンゴメリーのリバーサイド盤
「インクレディブルジャズギター」の代表曲で、往年の名画の主題歌「タラのテーマ」とは
関係の無いジャズのスタンダードです。トミー・フラナガンのトリオが刻むミディアムテンポ
に乗ってウェスのギターが淡々と歌いますが、なめらかなアドリブが高度なオクターブ奏法
で弾かれている事に気付いたとき、おもわず INCREDIBLE とつぶやくことになります。



VOL.198 * 2004/12/25
 


「前科者のクリスマス」 浅川マキ

ラジオの邦楽ポップス番組でたてつづけに日本製クリスマスソングを
聞かされて感じることは、まず何でこんなに沢山あるんだということ、
そして絶対にキリストという存在には言及も無いこと。結局のところ
愛をせきたてる年中行事に翻弄される善男善女の姿に、お疲れ様
と言いたくなる私はやはりひねくれ者なのでしょうか。考えてみれば
30年前の学生時代のクリスマスは男友達と酔っぱらって
深夜の四条木屋町あたりを寺山修司作詞の表題曲を歌いながら歩いた
記憶しか有りません。♪古いソフト 伊達にかぶり 笑いながら 出て行った…


新譜ジャーナル別冊「MAKI」画像
新譜ジャーナル別冊「MAKI」1972年

VOL.197 * 2004/12/24
 


「グレイトプリテンダー」 ザ・プラターズ

私が生まれて間もない頃のヒット曲です。高校時代にそれまで「オンリーユー」
しか知らなかったのですが、ベスト盤を手に入れてこの曲や「トワイライトタイム」に
出会い酔いしれました。若い人はフレディ・マーキュリーでご存知の方も多いでしょうが、
1950年代にロックンロールの谷間に美しく咲いたバラードの1曲として
再認識していただければ幸いです。ついでにナット・キング・コール
プリテンド」もおすすめします。pretend という単語は偽りや、だましという意味も
もちろん有りますがこれらのポピュラーソングの場合、罪の無いやせ我慢を
歌っています。どちらの曲も物悲しさを美しい旋律が救ってくれるのです。



VOL.196 * 2004/12/23
 


「旅 愁」 西崎みどり

雪の舞いそうな日にコタツでお酒をチビチビやりながら聞きたい曲ですね。
実はTVの「必殺シリーズ」は、ほとんど観ていないので純粋に歌謡曲として
の印象しかもっていません。西崎さんは現在は西崎緑として舞台を中心に
女優・舞踏家としてご活躍のようですが、十代に残したこの作品は
語り継ぎたい名作でしょう。平尾正晃の曲はポップスと演歌のエッジの上を
綱渡りするような感覚で楽しめます。作詞の片桐和子は「ナオミの夢」「マイウエイ」
などの訳詞を数多くされていますが、オリジナルも秀逸です。
特に2番のサビが心にせまります。♪鳥は飛び 鳥は帰る 花の咲く頃 ああ…



VOL.195 * 2004/12/22
 


「インマイライフ」 ジュディ・コリンズ

もちろんオリジナルのビートルズによる演奏も悪くないのですが、
ジュディ・コリンズが一人で歌うと、より哲学的に聴こえるのはなぜでしょう。
ひょっとしたら「青春の光と影」の延長線上に置いてしまうせいかもしれません。
一年の終わりに後ろをちょっと振り返って、その上で人生で大切なものを
再確認しているように受け取れます。けっして順風の明るい人生ではなくても
悩み事をはねのける強さと寛容さがきっと有ると感じさせてくれます。
「 In my life 」という出だして同様に、色々あってもやっぱりあなたが大事という内容の曲が
チック・コリアの「ユア・エヴリシング 」(歌はフローラ・プリム)で、これもおすすめ。



VOL.194 * 2004/12/21
 


「あなたのすべてを」 佐々木勉

オジサン世代のカラオケレパートリーおすすめ曲。フォークや洋モノだと場に合わず
浮きそうだし、かといって演歌は上手い人に太刀打ちできないという状況のときには
純歌謡曲の中からこんな曲を。知っている人からは選曲に対してまず評価をいただけますし、
初めて聞く人にも盛り上がりからサビにかけてのメロディの良さがすぐにわかるので
退屈しないと思われます。注意点はふたつ、出だしの「なまえもー知らない」の
低いソの音が自然に出せるか。それと最高音部「おしえて ほしーいーい」の
高いミの音が裏返らず出るか。以上2点を事前にチェックしてOKならぜひチャレンジ
してください。コツは最後の「あな*たへの歌」の*部分に気持ちだけ休符をはさむことです。



VOL.193 * 2004/12/20
 


「カリフォルニア・ドリーミン」
ママス&パパス

1960年代、ビデオクリップなんて無かった時代に彼らは直径17cmの
ドーナツ盤レコードの中に3分弱の映像を見事に歌い込んでいます。
舞台はおそらくボストンのような北東部の都市でしょう。街路樹の葉は色づき、
すでに葉を落とした小枝は舗道にモザイク模様の影を描きます。
2コーラス目で画面は形の良い教会の建物に切り替わり、やがて
内部の礼拝堂や牧師の姿も写りますがすぐに出口や表の通りに変わります。
そして間奏のフルートのソロの部分には少しだけ明るい陽光やオレンジ畑の画像。
最後のコーラスで曇り空の街に戻り、コートの衿を立てて若者が去ります。



VOL.192 * 2004/12/19
 


「昨日、今日、明日」井上順之

阿久悠都倉俊一がともに若かった頃のほのぼのとした作品。GS・歌謡曲・フォーク、
どのジャンルに入れても良い不思議な曲だと思います。これはスパイダース
というグループの中で田辺昭知堺正章かまやつひろし三人の真ん中に居た
井上順の存在とも重なります。よく言えばさわやか、悪く言えば軽いシンガー
なので、「お世話になりました」のように俗っぽ過ぎる印象もありました。
しかしこの曲の場合は含蓄のある詞のお陰で軽さが絶妙に中和されています。
昨日を振り返らないのはもちろん、明日のために今日を犠牲にもしないところが素敵です。
♪昨日は昨日さ終わった日さ あしたは 今日のたーめに 始まる日ーさ…



VOL.191 * 2004/12/18
 


「孤独の旅路」 
ニール・ヤング

CSN&Yはっぴいえんどになぞらえるなら、大瀧詠一に相当するのがこの人でしょう。
あまり人前に出ないけれども、時々歌ってくれるときには安心感をくれるような
あたたかな声の響きです。CSNだけのコーラスで例えば「青い眼のジュディ
を聞くと、少し泥臭いけど軽快でおしゃれという感じですが、ニール・ヤングの
加わった「オハイオ」なんかでは体温 を感じるような強烈な存在感が伝わってきます。
表題曲を聴いたのは私が高校生の頃です。miner for a heart of gold のくだりから
なんとなくゴールドラッシュに群れた男達のひとりか、ぐらいに思っていました。
30年の旅路を経てハートオブゴールドの価値がようやく解りつつあります。



VOL.190 * 2004/12/17
 


「キーストン・ブルース」 諸口あきら

1967年12月17日、宝塚市の阪神競馬場で当時は関西での年末最後の大レース
だった阪神大賞典が開催されました。ただし、このレースの距離3000メートル
への適性の問題と、1頭ずぬけて強い馬がいるせいで出走頭数はわずか
5頭立てという寂しいスタートとなりました。そして2周目のゴール板を通過したのは
4頭だけだったのです。圧倒的な人気のダービー優勝経験馬キーストン
残り400の標識を過ぎたところで左前足を傷めて転倒、山本正司騎手も
落馬して気を失いました。致命的な傷を負った馬が倒れた騎手を気遣う姿が
多くの競馬ファンの心に深くやきつきカントリーソングにも歌われることになります。



VOL.189 * 2004/12/16
 


「冬の部屋」 ジャニス・イアン

ジャニス・イアンという人も冬が似合うシンガーですね。しかもスキー場とか
クリスマスパーティとか華のある場所ではなく、オフィス街や大学構内の
冬景色がどうしても浮かんできます。表題曲はなんとなく幸薄い女の
物語ですが、枯葉や暖房の煙と同じように冬の街角の一部に
なりきることで自分を客観視して救われているような気がします。
さらに彼女の声の質と英語の響きにハイソサエティな雰囲気があるせいで、
憧れのような上向きの気分も加わって来ます。そのせいで1970年代後半に
TVドラマ主題歌やCFのバックに頻繁に使用された時期がありました。



VOL.188 * 2004/12/15
 


「12月の雨の日」 はっぴいえんど

荒井由実の「12月の雨」がこの季節にラジオでよくかかりますが、別曲で
こちらの方が先に(1970年)出ています。グループ名の平仮名表記も今つけたとしたら
陳腐ですけど、当時はまだ新鮮な効果があったと思います。音楽喫茶の名前で
ちらほらはやり出だした頃です。「ほびっと」「ぐゎらんどう」「しあんくれーる」など…。
大瀧詠一による曲は三部構成で、ホ単調−ト長調−ニ長調となんとなく転調する
落ち着かなさは、せわしない師走の世の中に参加しきれない気分と共鳴します。
この頃の松本隆の詞もまた、こんな「跳ぶ前の若者」の生活感が如実です。
♪雨上がりの街に 風がふいにおこる 流れる人並みを 僕は見ている−



VOL.187 * 2004/12/14
 


「サイモンセッズ」 1910フルーツガム・カンパニー

中学生だった時分、今ごろになると準備をはじめていたような気がします。
しきたり社会で言うところの事始めなど露も知らず、無邪気なクリスマス正月の
準備です。ひとつは、お年玉で買うLPレコードアルバムの選定作業。
もうひとつは、友達の家でのパーティ用の交換プレゼントの準備です。
クラスメートの女の子のうちに男女10人ほど集ってレコード音楽にあわせて
プレゼントを順送りに回し、曲のおわりに持っているプレゼントがその人のもの
というたわいない趣向です。そのときかかった音楽のひとつが表題曲でした。
バブルガムミュージックがもっとも華やかだった頃のなつかしい風景。



VOL.186 * 2004/12/13
 


「エイント・ノーバディ・ビジネス」 
WEST ROAD BLUES BAND

正式な曲名は It Ain't nobody's business, if I do ですけどカタカナでしゃべるときは
この言い方が多かった気がします。1975年頃の関西ブルースバンドのライブで
定番のナンバー。ロックンロールにおける「ジョニーBグッド」のような存在。
ジミー・ウィザースプーンの作でビリー・ホリデイBBキングと受け継がれた
ブルースミュージシャンの共有文化財的な名曲です。私が初めてこの曲を
生で聞いたのがウエストロードの山岸潤史の「泣くギター」、衝撃的でした。
しかも会場がある意味ブルージィの極みのような京大西部講堂という恵まれた環境。
あの青空に雲と星が描かれた瓦屋根はまだ健在のようで嬉しい限りです。



VOL.185 * 2004/12/12
 


「レイラ」 デレク&ザ ・ドミノス

学生時代にバイトで買ったセミアコのエレキギターをしょっちゅう爪弾いてたのですが、
安アパート暮らしのためアンプを買うのを躊躇したせいで、もっぱら
フォークギターのような使い方をしていました。それでも時には指使いの練習も兼ねて
リードギターの派手なフレーズを見よう見まねで探り弾きしたりもしました。
レッドツェッペリンのジミー・ページ、ディープパープルのリッチー・ブラックモア
そして表題曲のエリック・クラプトンなどです。でも考えてみればこれらの
20世紀を代表するロックギタリストの全盛期をリアルタイムで見聴きした
今のオヤジ世代というのは誇らしくも幸福な世代かもしれません。


「危険な関係」デューク・ジョーダンLP画像
「危険な関係」デューク・ジョーダンLP
「レイラ」 デレク&ザ・ドミノスLP中開き部分画像
「レイラ」 デレク&ザ・ドミノスLP

VOL.184 * 2004/12/11
 


「危険な関係のブルース」 クリエーション

表題曲はもともと1959年ロジェ・バディム監督の映画のためにジャズピアニスト
デューク・ジョーダンが作曲したもの。当時演奏したアート・ブレーキー
ファンキーなアレンジがジャズナンバーとしてもヒットしました。そして映画の
新感覚的な雰囲気ともぴったりだったため、危険な関係といえばこの音楽が
頭に浮かぶほど切っても切れない関係になりました。ですから日活が1978年に
藤田敏八監督でリメイクした同名映画のテーマ曲も当然これを使いました。
演奏は竹田和夫のギターを中心とする(ブルース)クリエーション。
私は大学の帰りに新京極の弥生座までわざわざ観に行った記憶があります。



VOL.183 * 2004/12/10
 


「こおろぎ橋」 丹羽応樹

就職して最初の冬は流通グループ外食企業の、福岡市郊外の店で勤務していました。
私ら若手は深夜1時までの勤務シフトが多く、起き出すのは昼過ぎだったでしょうか。
その時間に寮として借り上げられたマンションの1室でTVからよく流れた表題曲は、
調べてみるとTBS系13時前の20分間帯ドラマ「こおろぎ橋」の主題歌ですね。(1978年)
加賀山中温泉を舞台にした樋口可南子主演のドラマの方はあまり覚えていませんが、
「人と人とが めぐりあーって 心を少し重ねたとき…」という曲は非常に印象が強く
今でもよく覚えています。曲を作って歌っているのは丹羽応樹(にわまさき)という
女性シンガーソングライターで、先日とりあげた「夢色ヒコーキ」の補作曲もしています。




VOL.182 * 2004/12/09
 


「スクラップル・フロム・ジ・アップル」 チャーリー・パーカー

1947年チャーリー・パーカーの自作。小唄ベースでなく即興演奏のテーマとして
作られたものなので出だしのフレーズの音の並びからして、いかにもジャズらしい。
携帯電話の初期の頃、なんとかしてこの曲を「着メロ」にしようと試みました。
まだダウンロードサイトも少なく、アナログな手入力の時代です。
音程の名前を探って書き出しましたが、リズムの拍数がややこし過ぎて
早々に断念しました。ジャズらしく、なおかつリズムが簡素化できる曲として
今度はモンクの「ストレイト・ノーチェイサー」を試みようかと思いましたが、
実行に移さないうちにデジタルDLサイトが普及したりして、やる気が失せました。



VOL.181 * 2004/12/08
 


「まるで洪水のように」 
五つの赤い風船

有名な「遠い世界に」と同じ頃の美しいメッセージソングです。
藤原秀子西岡たかしのツインリードヴォーカルで歌い上げる内容が
「まるで洪水のように なにもかもが 引きずり込まれて行く」という叫びのような警告
だったのですがさほど違和感は無かったのです。今から35年前の情況の中で
高校生を含む多くの人々がベトナム戦争と日本の政治の関係を学び、論じ、歌にもしました。
我々は戦没者の犠牲のお陰で平和を得たのではなく、戦没者を引き込んだ洪水が
いっときおさまっていただけなのかも知れない、そんな思いがよみがえります。
♪わたしたちは今 思いおこさなければ わたしたちは今 戦争をわすれてはならない…



VOL.180 * 2004/12/07
 


「今夜はひとりかい」 エルヴィス・プレスリー

振られた男がせつせつと未練を語る歌なので、エルヴィスには似合わないかと
思いきや聴いているほうがもらい泣きしそうなほどうまく歌い上げました。
二人の愛の日の断片を思い出して今ごろ君も寂しがっているよねと、
一方的に確信していますが、どうも相手のほうは思いが残っていないような
雰囲気が言外に漂っています。最後の
♪Is your heart filled with pain,  Shall I come back again
のところで最も盛り上がるあたりも、精一杯の虚勢を帯びた悲しいワルツです。
カントリーソングでは「リリースミー」のようにあけすけに恋の終わりを歌う曲も
ありますが、エルヴィスの場合なぜか後悔や未練が似合うのです。



VOL.179 * 2004/12/06
 


「夢色ヒコーキ」 久保田育子

1977年にほんの少し上昇して何処へともなく姿を消したヒコーキ。
以前取り上げた十朱幸代セイタカアワダチソウ」と同じ番組で流れていました。
NHK新ラジオ歌謡かとも思いましたが画像クリップの記憶もおぼろに有るので
TVのスポット的な小番組だったのかもしれません。もちろんCD化されて
いないようですので詳細をたどるのは難しいです。曲の内容は、名前もしらない
憧れの人に架空の手紙をつづり、想いがとんでいって欲しいという少女の
気持ちを軽い透明感のある曲調で描いたものです。
♪ひとり 坂道を今朝も駆けてましたね そんな朝焼け 好きなんですー



VOL.178 * 2004/12/05
 


「サンデイ・ソング」 リッチー・バイラーク

晩秋と初冬の隙間にはまった日曜日。もし商業活動と無縁な環境に
居られるのなら、曇り空や枯れ草をながめながらこんな曲を聴きたいですね。
このコラムを書いているお陰で、普通なら開けない引き出しの底から
二三十年前の音楽が甦ります。1970年代によく出たピアノとベースの
デュオアルバムのひとつですが、とても懐かしい響きです。
ビル・エバンスの流れをくむリリカルなピアニスト、R・バイラークが
ベースのフランク・トゥサと組んだ演奏で、当時特に日本でヒットしたと思います。



VOL.177 * 2004/12/04
 


「愛があれば大丈夫」 広瀬香美

スキー用品店のキャンペーンソングを毎冬つくったお陰で冬の女王という形容詞が
つきまとうコウミさんですが、一昨年のライブのあとは音沙汰が無かった気がします。
ようやく新作アルバムが近日中に出そうでまずは楽しみです。
この人のイイところは第一に声。マイケル・ジャクソンのヴォイストレーナーについて
開眼した心を惹きつける声の威力は、オペラ歌手よりも現実的な響きが魅力です。
第二に素直で前向きなところ。ビジネスパーソン向けのコーチングも出来そうな
上向きの影響力が自然に伝わってきます。人間はもっと普通に
幸せになりたいと願い、口にしてもいいんだよねと気付かせてくれます。



VOL.176 * 2004/12/03
 


「マイ・バックページ」 
キース・ジャレット

Somewhere Before というアルバムの1曲目に入っている My Back Pages です。
意味を追求すれば色んな解釈も成り立つかもしれません。元の曲を作った
ボブ・ディラン にまで言及すればなおさらです。でも私はあえて詮索せずに
チャーリー・ヘイデンのベースから始まって、やがてキース・ジャレットのピアノが
しっとりとブルースを奏でる音が空中にただようのを感じることにします。
1968年のこの演奏はけっして後ろを振りかえっているのではなく、
「何か懐かしいもの」という表現のモチーフがつかめた瞬間だったのかもしれません。
そして1975年の代表作ケルンコンサートへとゆっくり昇りはじめます。



VOL.175 * 2004/12/02
 


「キングサーモンのいる島」 六文銭

小室等の率いた六文銭というグループは日常の暮らしの風景を
描写する合間に、なにくわぬ顔で世界の果てとつながるトリップへと誘ってくれました。
それはインドであったり、ポワンポウエルという架空の地であったり。
そして、中でも秀逸なのが及川恒平の作になる表題曲です。
ミディアムテンポのCメジャー循環コードの中でときおり半音下がるA♭の音が
顔を出しては水にもぐる鮭の姿をほうふつとさせます。そして、
オホーツクの島の水の冷たさと、暖かいテーブルで夢想する
サーモンステーキのおいしそうなシズルがどちらとも伝わってくるのです。


自由国民社「新譜ジャーナル」1972-6月号画像
自由国民社「新譜ジャーナル」1972-6月号

VOL.174 * 2004/12/01
 


「アムルーズ」 ベロニク・サンソン

おしゃれ過ぎてオヤジソングというイメージからは、離れているかも知れませんが、
日本で言えばユーミンやハイファイセットに近いサウンドだと思います。
おじさん世代は、たまにこういうのも聞くのです。ちょっと遠方へ車ででかける時など
"カセットテープ"1本分ヨーロピアンなムードにひたれます。
英語と違ってフレーズの意味が頭にひっかかることもなく、フランス語の歌詞が
メロディと一体になり音として心地よく響いてきます。ベロニクはなにかというと
ステファン・スティルスと結婚して別れたという添え物的な語られ方をしがちですが
フレンチロックの歌姫として、ベストCDの1枚も再発して欲しい気もします。



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