コラム


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OYAJI NO UTA

by 安藤弘志

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オヤジのうた曲名リスト

VOL.561 * 2009/06/30


「夏休み」 高石ともやとザ・ナターシャセブン

子供が少年から青年へと成長する時代に、抒情的な精神を理解する心と、
異性に対して礼儀を保ちながら尊重する心とを育むのは、とてもとても
大事なことだと思います。情操教育というのは、教科書や先生だけに頼る
のでなく、世の中のあちこちで、大人が次の世代に愛情を持って手渡す
べきものかも知れません。例えば1970年代にはこんな歌が民放ラジオの
今月の歌として流されていました。CDになっていないけれど、消えてしまうには
惜しい爽やかな歌です。♪町には 空がないと ひとは言うけれど 僕の窓から
高い煙突の空 落ちていく夕陽がきれいだよ。今年の夏休みは 君が訪ねてくるんだね



役に立つ買物情報も毎日更新していますのでどうぞ


VOL.560 * 2009/06/19


「しかたない死」

一昨日の朝日新聞を読んでいて、衝撃的な一文に出会いました。オピニオンの頁に
寄稿されていた辺見庸氏の「犬と日常と絞首刑」です。眠気を帯びた頭に一撃された
気分でした。これだから新聞はやめられまへん。「世間には麻痺した身体で犬のトイレを
掃除している老人もいれば、おなじ日に絞首刑に処される人もいる」こんな象徴的な
トーンで綴られた一文は、日本、中国、北朝鮮、イランなどで常識的に行われている
死刑について、我々日本人はもし日本がEUに加盟する立場にあったとしても、死刑の
存在を理由に拒まれるという事実をどれほど知っているだろうかと問いかけます。
折しも国会では臓器移植に関する法改正で、脳死の扱いが一歩前に進められました。
ところで、「しかたない死」について考えるもう一つの視点として、兵士の死があると
思います。非戦闘員のみならず、兵士の死をも「しかたない死」としない点に於いては、
日本はEUに勝っています(少なくとも憲法的には)。刑死、脳死、戦死。これらは
日常的でないにしても、考えずに済ませられる問題でも無いはずです。大切なのは、
どの問題でも「異が唱えられる」自由はなんとしても確保しなくてはならないことです。



VOL.559 * 2009/06/06


「燃ゆる初恋」 カーペンターズ

前回の歌詞「声をかけてはいけない」の中でマキさんが言いたかったことの中身を
つらつら考えてみました。あわよくば一晩一緒に過ごそうよと、下心溢れる男の心に
むかって、『彼女の過去や未来や、周りの人々』これらすべてをひきずっている生身の
女に本気で関わりあう覚悟は出来てるのかい?こんな声が聞こえる気がするのです。
助平や浮気の妄想は想像力の柵内にきちんと収められる男にこそ幸福は来ます。
もっとも、ギーで浅川マキを聴いてた若い頃は「あわよくば」しか考えてませんでした。
ところで、私事で恐縮ですが四半世紀前の今日、私は結婚をしたのです。
六月の花嫁は幸福になるなら、六六のゾロ目だったら御利益も倍と日付を決めました。
今もなんとか嫁さんに嫌われもせず連れ添っているので、六月の花婿の幸福は
とりあえず達成されています。表題曲はルビー&ザ ロマンティックスの懐メロが
カーペンターズでリバイバルした曲。♪Our day will come and we'll have ev'rything
と、やたら頭の中で鳴っていた結婚前夜のテーマ曲なので紹介する次第です。


VOL.558 * 2009/05/26


「町の酒場で」 浅川マキ

スーパーに行って、袋入りのモヤシの新鮮なのを見るとついつい買ってしまうのです。
空気が抜けてピチッと、モヤシのでこぼこ通りに張り付いたフイルム越しに、
赤っぽい部分などみじんもなく白く輝く姿を見つけると、自然に手が伸びています。
買って帰ると今度は、新鮮なうちに食べようと追われるように焼そばやラーメンを
作ります。先日も鍋にたっぷりの湯を沸かして棒ラーメンを茹で、やや遅れてモヤシを
放り込んで頃合をはかっているうちに、突然「ギーメン」を思い出してしまいました。
京都の京阪三条から蹴上の方へ上る道沿いにあった小さなジャズ酒場"GIE"の
軽食メニューなのですが、ベースになっているのは九州はマルタイの棒ラーメン
らしいという噂でした。夜更けてウイスキーに飽きた時分に、小腹を満たす
謎のメニューとして愛好されていた「ギーメン」。懐かしいです。出来上がった
私の昼飯のBGMに浅川マキのテープを引っぱり出してきて掛けました。
♪町のー 酒場でー 酔いしれたおんなにー 声をかーけーては いけーない
…早くこの町を 発ちなさいあんたの 行く先いいことあるだろう。


VOL.557 * 2009/05/17


「オライオンは飛ぶ」

今朝のニュースによれば、ソマリア沖海賊対策の援軍として、政府は海自の
対潜哨戒機P3Cの派遣を決めたのですと。P3Cといえば、先日も熊本の
駐屯地行事の賑やかしとして編隊飛行をしに来ていましたが、原潜を相手にするのが
得意のハイテク機が、海賊を相手にするとは余程他にすることがないのでしょうか。
そもそもオジサンの少年時代から「オライオン」の愛称で知られていたこの飛行機は、
旅客機のロッキードエレクトラを母体とするプロペラ機で、半世紀を越す就役期間
からいっても「名機」と言えるかもしれません。それにしても各国の軍隊がこれだけ出ても
海賊がいなくならないのは何故でしょう?科学的捜査をおこなえば、海賊の根拠地や
武器の流れ、構成員の本当の正体など明らかに出来そうなものと思うのですが。
一説には、欧米の民間軍事会社との関係や、大企業の産廃投棄による漁業被害が
背景にある疑惑もあるようです。国連も主要国も、受身の対策ばかりやって、
海賊と言う犯罪に対する「捜査」が進まないのは、背後にあるものが明るみになっては
困る勢力の働きかけの存在が疑われてなりません。各国の軍隊にとっても民間商船を
守るという、自分たちの存在意義を誇示する機会は続いて欲しいのが本音なのかも。

 

VOL.556 * 2009/05/03


「記念日に」

5月3日を前にして、朝日新聞では世論調査で、憲法九条を変えることに
反対する人の割合が64%との数字が報道されていました。ひとまずは
ホッとすると同時に、50%との距離の近さに不安を感じたりもします。
不安は世論だけじゃなく、政治家にも及びます。政権交代が現実化する中、
当の民主党の中に「隠れ軍事愛好者」が居るような気もするのですが、
よくわからないのです。選挙前には憲法九条の「踏み絵」をして欲しいぐらいです。
考えてみれば五十数年生きてきて、憲法の戦争放棄や、基本的人権の恩恵を
多大に享受しながら、有難みを感じることの少なかったこと。無くしてみて
初めて価値を思い知るなんてことのないように、必要な声はあげていこうと思います。
北朝鮮も海賊も、困難ではあるけれど、軍事によらない対処を目指すのが
62年前に父祖が焼け跡で決意した憲法の根幹の精神なのですから。

 


VOL.555 * 2009/04/24


「 翼 」 石川セリ

NHKの新番組、と言っても朝の連ドラではない話題です。FM放送で
月〜金の9:20-10:00と、夕方再放送が17:20-18:00に始まった帯番組、
「にっぽんの歌 世界の歌」で表題曲を含む石川セリのアルバム、
武満徹ポップス・ソングス」から7曲を聴いて感激しました。
実は、1995年の武満氏がまだ存命中にこんなCDが出されていたことを今日
初めて知りました。「小さな空」「翼」など合唱曲や童謡的イメージのある曲が
彼女のヴォーカルの不思議な都会的センスで昇華されて大人のポピュラーソング
として、どれも聴き応えがあります。これからもこんな隠れた名盤との
出会いを期待しながら、つきあっていきたい番組として紹介する次第です。



VOL.554 * 2009/03/30


「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」 コールマン・ホーキンス

熊本は満開の桜が、このところの花冷えで長持ちしています。
今年も花の見える窓に陣取ってお酒をチビチビしながら聴くにふさわしい
歌謡曲をまず探したのですが、なかなか見当たりません。
何が入っているのか判らないカセットテープを放り込んでいるうちに、
ヤフードームじゃないけど「ホークス」がヒットしました。
悲しいけれど、とても優しいマイナーのブルースが50年の時を飛び越えて
2009年春の気分にぴったりと重なり合います。
アービング・バーリンの原曲は、居なくなった愛する人をひたすら慕う内容ですが、
ホークのテナーサックスの音色は、愛への希望が感じられるような、
そんな震え方をしています。底の見えない不況に直面しても、
希望と音楽だけは捨てないようにしようと想うひとときでした。



VOL.553 * 2009/03/14


「どこかおかしい この国の交通」

昨日からTV各局のニュース番組には、どこでも「ブルートレインとお別れ」の
話題が結構な時間ふくまれています。聞こえてくる声は「時代の流れとはいえ
惜しい、寂しい」という論調がほとんど。中にはもっと利用して残せばよかった
という意見もありますが、老朽車両をぎりぎり今日まで持たせたというのが
廃止の内実のようです。勝手の悪い設備に、安くは無い料金設定を放置して
客離れを招き、最後の人気にだけはちゃっかり乗るJRには不満です。
さらに困ったことには、一方で国の政策としてマイカーの長距離旅行が奨励
され始めます。渋滞、疲労、事故の不安を考えると千円乗り放題の高速の旅など
まったく魅力を感じないのですが。高速道路に関しては、公共交通機関の不便な
区間は無料、そうでないところは、急ぐ必要のある車やバスだけが時間通りに
走行可能な台数になるよう料金を設定すればよいと思います。
幹線の旅客や貨物は、鉄道やフェリーを快適に使用できるよう長期の視野に
立った政策がきちんと考えられる政治家って居ないのでしょうかね。


VOL.552 * 2009/03/04


「給付金のおッつけッこ」

去年の十月に話が出て、すったもんだのあげくに給付金とやらが本決まりになったようです。
これから世の中、おまけ付商品券とか、1万2千円セールとか、給付金担保の闇貸金とか、
なにかと騒がしくなるんでしょうね。オジサンも愚策と批判した手前もらわないかといえば、
そんなこたぁなくて…くだらんことに操をたててもしょうがねえと、なぜかべらんめえ口調で
あっさり貰ったりして。ただし、この金額。口座に振り込まれても、いつのまにか電気代の
引き落としなんかに紛れて、行方不明の恐れが大です。そう考えてたら、落語の
「へっつい幽霊」に出てくる熊五郎のセリフが頭に浮かびました。「百五十貰っても半端で
しょうがねえから、どうでえ?おッつけッこしちまうか。」こう言ってサイコロを取り出し、
幽霊と丁半ばくちを始めてしまうのです。勝てば倍になって使いでがあるし、負けても
はなから無かったと思えば苦になりません。たしかオーストラリアでも給付金のようなものを
配ったところカジノで賭ける者が続出したという話です。なにか親しみのもてる国民ですね。
例えば、競輪・競馬などは、ちょうど1日12レースぐらいですから、1レース千円ずつ
三連単の万券にチャレンジすれば10万円のチャンスが12回…不謹慎でスミマセン。


VOL.551 * 2009/02/27


「新幹線さくら?」

再来年の春に走り始める山陽・九州新幹線直通列車の愛称が、公募の
最多数だった「さくら」に決定したとのことです。実は私も「はやぶさ」で応募
していたこともあり、内心忸怩たるものがあります。熊本や鹿児島の者としては、
「さくら」は長崎モンの列車、常に横目で見る存在だったような感覚があります。
地元票よりも大票田の福岡人のセンスで決まっちゃった、そんなとこでしょうか。
それとも、本州の人達が九州行きの優等列車としての氏素性として、「さくら」を
尊んだとしたのなら、納得して開通後はせいぜい利用してこちらへ来てくださいと、
お願いするしかありません。愛称の取り合わせとしても、「はやぶさ」が
「つばめ」を追いかけるほうが、絵になるんですけどね。



VOL.550 * 2009/02/06


「ランブリング・ボーイ」 
チャーリー・ヘイデン

キース・ジャレットの名盤の多くで共演したベーシストとして、われわれ世代には馴染みの
チャーリー・ヘイデンが古希を迎えて久々にリリースしたリーダーアルバムの内容は、
フレンドリーなカントリーミュージックでした。今日、地元のコミュニティFMで表題曲を
聴いた私の感想は、おじさんも随分あちこち彷徨ってきたんだねという感慨でした。
曲名で思い浮かぶのはかつて高石岡林が歌った、やはりカントリーの同名異曲です。
しかしこちらのほうは、私生活でも充分さまよった老人の独白のようです。彼はもともと
音楽の出発点としてはフォークソングだったようで、ひょっとしたらディラン
マイ・バックページ」をキース・ジャレットに教えたのは彼だったのかも知れません。
チャーリーといえば、彼の国のチャーリー・ブラウンも生きているなら70位になる訳で、
今頃どこかの街で、横顔の輪郭は同じで相変わらず猫背でとぼとぼ歩いているのでしょうか。
そして良く見れば、彼の数歩前を平然と歩くルーシーの姿も見えるではないですか。



VOL.549 * 2009/01/24


「初恋草紙」 
山口百恵

先日から度々届くスパムメールの冒頭の文句にこうあります。
Spring has finally come! Romance is in the air!
なんとなく気分が上向きになりますけど、どこから発信されたのでしょうか。
続きの文面には「美しくて未だ独り身の、ロシアとウクライナの女性があなたに
会うことを熱望している…」などとありますので、北のほうの国からのようなのですが。
ともあれ熊本にも何度目かの寒波が訪れて寒い土曜日を過ごしております。
こんな日には百恵ちゃんの冬の歌を聴きながらホットウイスキーなどいただきたい。
表題曲は阿木=竜童コンビの作によるミディアムテンポのバラードです。
♪口紅だけは さしーましょう 冬の光が あつまるよう… 軽い雰囲気ではじまり、
サビで一転うったえかけるように盛り上げたあと、♪実らぬものと 姿を変えてー
わたしの恋がいまー 駆けてゆきます 。 せつなさのこもった歌謡曲に乾杯。


VOL.548 * 2009/01/09


本を 読んで考えよう

前回、去年の大みそかに宣言した「お正月の文献学習」もなんとなく中途半端なまま
松の内が過ぎようとしています。歴史の流れに沿って経済と世の中の仕組みを
考えるには今が絶好の時期ではないかということだけは、分かったような気がします。
前々世紀の先達の文献では、発達した資本主義の末期に、かつて有用だった
「国家」が逆に生産の障害になるような段階が予告されています。おそらくそれに
伴って、ブルジョア社会の「寄生物」たる官僚組織の悪事も露見していくのでしょう。
ただし、マルクス経済学も予見できなかったのは、「魔法で呼び出したような」生産力
の発展のみでなく、それに輪をかけた情報技術の革新と、情報の商品化だと思います。
貧困なプロレタリアであっても世界の情報が入手可能になり、しようと思えば世界へ
情報発信さえ出来るのです。生産手段の質的変化はプロレタリアが容易に起業家に
なりうる時代をもたらしました。先達は「プチブル」や農民の「反動性」を論じましたが、
資本主義が自滅して、「雇われずに」生きることの出来る理想社会が見えてくるとしたら、
情報を自在に活用したプチブルや農民の姿の先にあるような気もします。