コラム

OYAJI NO UTA

by 安藤弘志

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オヤジのうた曲名リスト

VOL.112 * 2004/09/30


 「ハンガリー狂詩曲第2番」  オイゲン・キケロ

故郷の地方都市にあったジャズ喫茶は、裏通りの外付け階段をあがった二階でした。
階下はダンスホールの看板がついていましたが営業していない時のほうが多かった
ような気がします。曇り空の午後が似合う街の一角でした。
このジャズ喫茶Sで私はコルトレーンにもつげ義春にも出会ったのですが
マスターの好みはルーマニア出身のジャズピアニストによるリストの演奏でした。
特にしょっぱなに「ハンガリー狂詩曲」が出て「カンパネラ」など超絶技巧曲の
収まった1枚は、なにかというとかかっていました。


役に立つ買物情報も毎日更新していますのでどうぞ

VOL.111 * 2004/09/29


 「惜春通り」 
山口百恵

1978年のアルバム「二十歳の記念碑 曼珠沙華」は篠山紀信撮影の
カバーフォトといい、楽曲を提供した作家陣といい当時の邦楽アルバムとして
際立った豪華さでした。中でも谷村新二の「いい日旅立ち」、
宇崎竜童の「曼珠沙華(マンジューシャカ)」は今でもよくカバーされる曲です。
私はこの盤をソニー発売のカセットテープで購入し、車の中でよく聴きました。
なかで何となく気になって頭に残っているのが川口真作曲の「惜春(せきしゅん)通り」。
どちらかと言うと直立不動スタイルで歌う姿がイメージされる、
ちょっと凄みの有る声が心地よいのです。


 

VOL.110 * 2004/09/28


 「イエス・イット・イズ」 ビートルズ

アルバム「HELP!」から最初にシングルカットされた「涙の乗車券」のB面。
シングルのカップリング曲というのは、競輪の2車枠のように(一般的な例えじゃ無いか?)
比較的存在感のうすい曲を組み合わせてバランスを取ろうとしますが、
この Yes It Is はタイトルこそ地味ですけど中身はジョンのボーカルの光る佳曲で、
ひそかな愛好者もけっこう居るようです。曲は終始三連符が下地になっているのですが
要所でそれを外すことにより感情が表現されます。特にサビ後半の
but It's my pride yes it is, yes it is-Oh, yes it is Yeh,
たたみかけるシャウトが、聴きこむにつれ胸をうちます。


 

VOL.109 * 2004/09/27


 「一番星みつけた」  藤原秀子

五つの赤い風船というグループはもちろん西岡たかし抜きではありえませんでしたが
もう1人女声ボーカルの藤原秀子の存在も無くては成りません。
青木まり子さんには悪いのですが再結成の「風船」は以前の「風船」とは違います。
藤原秀子の特異な声質がグループの個性を強く決定づけていました。
URCレコードの初期の1枚に彼女のソロアルバム「私のブルース」が
ありますが、その中で後にグループとしてもよく演奏されたのが表題曲です。
「ほしを かぞえ 夢みた おさない頃は いまは 遠い ふるさと恋し」
あの時代によくあったリリカルな曲でも風船サウンドでひと味違いました。


 

VOL.108 * 2004/09/26


「アイ・リメンバー・クリフォード」 バド・パウエル

テナーサックス奏者ベニー・ゴルソンの書いた表題曲は
クリフォード・ブラウンの若い死を悼んで書かれた 美しいバラードで、
ジャンゴ・ラインハルトに捧げられた名曲「ジャンゴ」とともに
モダンジャズを代表するデディケイトソングと言えるでしょう。
天才肌のピアニスト、バド・パウエルは晩年に好んでこの曲を演奏しています。
私が初めて聴いたのはヨーロッパ録音の「バウンシング・ウイズ・バド」
というタイトルのアルバムですが現在は入手困難かも知れません。
デンマークのベーシスト、ニールス・H・ペデルセンの出世作でもあります。


 

VOL.107 * 2004/09/25


「26ばんめの秋」 
岡林信康

50ばんめに近い秋がめぐってくるオジサンにとって岡林の表題曲を
はじめて聴いた頃の思い出もかなり遠くはなってきています。
「手紙」「チューリップのアップリケ」などのプロレタリア文学的フォークに
出会った中学時代。やがて「ガイコツの唄」や「くそくらえ節」をまねして
歌い始め、「見るまえに跳べ」の日本語ロックにぶっとんだ高校時代。
我々や、ちょっと上の団塊の世代にとってはるかなカリスマだった岡林が、
「病院のベッドにおばあちゃんを見舞い」もうすぐ冬が来るねと語ることに
強い違和感を感じつつもなんとなく受け入れたのは大学受験の頃だったでしょうか。


 

VOL.106 * 2004/09/24


霧の中の二人」 
マッシュマッカーン

1970年代はじめ頃のカナダのグループによるスマッシュヒット。
当時はどういうきっかけによるのかカナダ、オランダ、北欧などの
新人POPグループの曲が日本で突然火がつくことが多かった気がします。
メディアの種類も規模も小ぶりだったため、各レコード会社の洋楽担当者が
良い曲を選んで仕掛ければ、反応しやすかったのかも知れません。
この曲も歌詞の中に無い「霧の中」という表現を思いついたことが勝因か。
原題は As Years Go By ですが、ローリング・ストーンズ
As Tears Go By とまぎらわしいのでちょっと混乱した記憶もあります。


 

VOL.105 * 2004/09/23


「梅田からナンバまで」 
上田正樹と有山淳司

「今日は朝から雨 いやな天気やけど さあぼちぼち 出掛けるじかん」
井上陽水の「傘がない」に較べると、格段にチカラの抜けた歌いだして始まる表題曲。
漫画家いしいひさいちの描く自画像「キクチくん」のような飄々とした表情が
有山のボーカルから鮮やかに浮かびます。1975年のアルバム「ばちぼちいこか」は、
上田正樹がソロシンガー「キーボー」としてやや神格化される直前の穏やかなサウンド
に満ちています。「今日はやっぱり 腕組んで 散歩しましょう御堂筋でも」
大阪市中心部の南北の通りは起伏も少なく地下鉄2〜3駅ぶんすぐに歩けてしまいます。
私も学生時代、北浜から日本橋までとか天満橋から上六までとかよく歩きました。


 

VOL.104 * 2004/09/22


「枯 葉」 ビル・エバンス

以前この欄で、上質のピアノトリオの演奏を聴くことは
文庫本を一冊読むほどの心の栄養になる気がすると書きました。
朗報です、本日発売のビクター・エンタテインメント「ナイスプライス2004」
という企画に、リバーサイドレーベルのビル・エバンス・トリオの名盤が多数、
さらにプレスティッジレーベルのマイルス、ロリンズ、Wモンゴメリーなど
モダンジャズ必聴アイテムが税込1500円で買えるのです。
他にもオジサン好みのロック・POPSの歴史的アルバムや発掘映像など
目移りしますが、まずはPORTRAIT IN JAZZから「枯葉」を聴いてみましょうか。


 

VOL.103 * 2004/09/21


「めっきり冷たくなりました」  キャッツ・アイ

私の学生時代のアイドルといえば篠山紀信撮影の雑誌「GORO」の表紙
に象徴される豪華にもバラエティに富んだ時代でした。
遊び友達とアイドルを論じるときも、歌唱力演技力など脇に置いて
個性やお近づきになりたい度合い、要するに自分の好みに振り回された
会話になりがちだったことは否めません。
キャッツ・アイという二人組は1977年の夏に「アバンチュール」で世に出て
秋風と共に表題曲をヒットさせ、その後あだ花のごとく消え去りました。
しかし、私ら仲間内ではその後もピンクレディー以上に評価されていました。


 

VOL.102 * 2004/09/20


「今宵の君は」 マントヴァーニOhc.

ジェローム・カーン作曲の The Way You Look Tonight 「今宵の君は」。
この曲はジャズボーカルでもスタンダードですが我々以上の世代にとっては、
なんといってもNHKラジオ「夢のハーモニー」で親しんだマントヴァーニオーケストラ
の演奏が頭に浮かびます。少年時代に初めて自分だけで聴いたラジオ放送、
それは鉱石ラジオのセットに繋がったイアホンごしの小さな音でした。
電池不要のラジオなのでつけっぱなしで寝てもかまわないのが強みですが、
遠くの局はもちろん入らないので深夜の番組で覚えているのは
地元民放局が流す旺文社の大学受験講座と、この「夢のハーモニー」なのです。


 

VOL.101 * 2004/09/19


しあわせの限界」 串田アキラ

1970年頃にNHKが数十人のユニット「ヤング101(いちまるいち)」を結成して、
彼ら専用の音楽バラエティショウ「ステージ101」を放映し、人気を集めました。
101ストリングスというオーケストラや、101曲の楽譜集など音楽に縁のある数字ですが、
この場合は使用スタジオが渋谷放送センター101スタジオということからの命名です。
ちなみに朝のニュースショウは「スタジオ102」、こんな名称が新鮮だったのでしょうか。
ステージ101といえばテーマソングともいえる、かぜ耕士作曲の「涙をこえて」が
有名ですが、メンバーの個人や小グループによるヒットは他にもあり
のちにアニメソングに欠かせない存在になる串田の表題曲が特に印象的でした。


オリジナルキャスト来日記念盤ステージ101画像
「カムトゥギャザー」オリジナルキャスト来日記念盤
ステージ101出演時写真使用
 

VOL.100 * 2004/09/18


「コテージ・フォーセール」 マット・デニス

人生の夏の時期を過ぎ、恋人とも別れ、想い出の詰まったコテージは
人手に渡り草に埋もれた中にフォーセールの札が下がっている。
ウイリアム・ロビンソン作のスタンダードをピアノ弾き語りで歌う
マット・デニスの声は、さびしい情景ながらもどこか達観した
温かみを感じさせるものです。若い頃にこの曲を聴いて感じたことは、
人生の中で色んな目にあっても、ジャズごころを持っていれば
精神的に持ちこたえる大きな助けになりそうだということです。


 

VOL.099 * 2004/09/17


「そして秋」 
ザ・ナターシャー・セブン

1974年京都のKBS近畿放送の今月の歌公募から生まれた曲。
この時期、妻の実家から栗がどさっと届くと
「鉛筆書きの 母さんの 手紙と一緒に 山栗が たべきれない程 届いたら…」
この歌が頭に浮かびます。高石ともや率いる和風ブルーグラスバンドの
ザ・ナターシャセブンはこの頃、音楽的にひとつの絶頂と言えるほどの
佳曲の数々を残していますが、高石の曲づくりのうまさには感心させられます。
表題曲もメジャーセブンスコードのささやかな余韻と、なにより
サビのDm-Dの半音上げ部分が気持ちいいったらないです。


「あき」ナターシャセブン シングル文庫画像
「あき」ナターシャセブン シングル文庫
 

VOL.098 * 2004/09/16


西暦2525年」  ゼイガーとエバンス

ついこの前もTVで「2001年宇宙の旅」を見ましたが、四半世紀前の想像と現実の
達成度のギャップを部門別にチェックしている私でした。大まかに言って
宇宙旅行そのものは当時の想像に大きく遅れをとっていますが、情報通信技術
(特にインターフェイス部分)に関しては想像を追い抜いている部分がかなり多いです。
また、映画製作当時の米国航空のフラッグシップ「PAN・AM」の倒産も想定外でした。
1969年ゼイガーとエバンスの1発ヒットの表題曲を現実と較べて吟味するのは、
はたして地球上での老後の楽しみになるのか、それとも私の想像を超えたことが起こるのか
In the year 2525 If man is still alive. If woman can survive, they may find.


 

VOL.097 * 2004/09/15


「別れのサンバ」 長谷川きよし

1969年、長谷川きよしのデビューシングルは発売後じわじわと話題が広がり
中学生だった私もじきに好きになりました。同じ頃「雨のささやき」が
日本でもヒットしていたホセ・フェリシアーノと同じく、盲目のギター弾き語りシンガー
ということで並べて語られることも多かったように記憶しています。
長谷川の別れのサンバは、サンバというよりフラメンコをおもわせる華やかな
ギターにのって切々と語られるメロディが多くの人の心をとらえました。
日本の歌謡界には彼の前に、アントニオ古賀アイ・ジョージといった
シンガー・ギタリストがいましたが、フォークの味付けのある長谷川は新鮮でした。


 

VOL.096 * 2004/09/14


「嘘は罪」 ファッツ・ワーラー

学生時代から愛用しているポピュラースタンダード楽譜集に載っていたおかげで
いつの間にか歌えるようになっていました。社会人になってだいぶん経った頃
飲み会が盛り上がって何軒目かの夜更けのカラオケバーで歌ってしまったのです。
出だしのリズムの配分を間違うとワルツのダンス曲みたいになる恐れもありますが、
酔ったいきおいか偶然にも上手く乗れて2コーラス目の I love you. Yes I do, I love you
のところなどファッツ・ワーラーばりのフェイクも決まり、お店の御姉さま含めその場の
全員の喝采をいただきました。その後、洋楽カラオケのリストでこの曲を探しますが
二度と出会うことがないのは、これもまた偶然の幸運でしょうか。


 

VOL.095 * 2004/09/13


「生活の柄」 高田渡

沖縄出身の詩人、山之口獏の含蓄の有る詩に高田渡が朴訥なメロディをつけた名作。
「あるき疲れては 夜空と陸との 隙間にもぐりこんで 草に埋もれては寝たのです…」
放浪者の生活に感情を移入して歌ったり、聴いたりしがちな歌ですが。
陸(おか)をひいて寝るということを例えばどこにも雇用されずに生きると
置き換えてみれば、フリーターや独立開業者が自らの生活の柄(がら)を
淡々と歌い上げている様子をイメージできなくもありません。
夏向きの生活の柄をなげいたり後悔したりするのでなく、
ある意味で懐かしがっているふうも、あるのです。


 

VOL.094 * 2004/09/12


「チェルシー・ブリッジ」 トミー・フラナガン

1957年の名盤「オーバー・シーズ」収録のエリントンナンバー
ビリー・ストレイホーン作曲の美しいバラードですが、エルビン・ジョーンズ
ドラムスに乗ってピアノが橋の上をうきうきと動き回っている感じのする
ゴキゲンな演奏です。高校時代に出会って何度も繰り返し聴きました。
フラナガンをはじめ、レッド・ガーランドウィントン・ケリーなど
包容力のある大人という感じのピアニストの演奏、特にトリオのプレイは、
若いモンにとって1冊の文庫本に匹敵するような心の栄養だと思います。


 

VOL.093 * 2004/09/11


「裏切者の旅」 宇崎竜童

1976年の宇崎とダウンタウンブギウギバンドの作品で作詞はもちろん阿木耀子
ツアーの旅先のミュージシャンが、ふとした寂しさに迷ってしまった後悔を
まるで見てきたかのように描写する阿木の詞のうまさに脱帽。
「それほど遠くない 旅のつづきなのに おまえの住む街が やたらとなつかしく
心にうかぶ」 身に覚えが無くても聴く者を情況に引きずり込み、
「ひび割れた鏡の中に 裏切者の顔がゆがむ」
「色あせた写真の中で おまえの微笑が俺の胸を…」
鏡の顔と写真の顔の対比、それに気付いた男の心中が浮かび上がってきます。


ダウンタウンブギウギバンド シングル盤画像
「涙のバイア・コンディオス」
ダウンタウンブギウギバンド シングル盤
 

VOL.092 * 2004/09/10


センチメンタル・ジャーニー」  ドリス・デイ

「もうすぐバスが出ると せきたてる声が 私のこころにまで 聞こえてくるよ」
1975年のアルバム「灯ともし頃」収録の浅川マキ版「センチメンタル・ジャーニー」は、
千家和也の描く女よりも自立の度合いの高い旅なれた女性をイメージさせます。
ブルージイなメロディには帰る場所のない旅が似合います。
いっぽうオリジナルのドリス・デイ&レス・ブラウン楽団のバージョンでは、
心に傷を負った女の娘が、持ち物をカバンに詰めて、有り金をはたいて切符を買い
今となっては天国にも思える我が家へ向かって汽車に乗る、という歌詞です。
こちらも1945年という時代を考え合わせると、ホッとさせられる内容だったのですね。


 


VOL.091 * 2004/09/09


「挽 歌」 由紀さおり

1974年発売の千家和也作詞・浜圭介作曲による純歌謡曲。
当時まだマイナーだったいしいひさいち4コママンガも載っていた
関西の地域情報誌「プレイガイドジャーナル」に、東芝が1ページ広告で
この曲を宣伝していたことを覚えています。平浩二のヒット曲「バスストップ」も
作詞が千家和也ですが、この「挽歌」がアンサーソングだったのかも知れません。
「なにを とりあげても 私が悪い あやまちつぐなう その前に 別れが来たのね」
「たぶんあのひとは 私をうらんでいるのでしょう …人ごみの中 私はただバスを待つ」
いったいこの女性は何をしでかしたのか、いかにもバスの似合う別れです。


70年代の「プレイガイドジャーナル」画像
70年代の「プレイガイドジャーナル」表紙
 

VOL.090 * 2004/09/08


「オールウェイズ」 ビリー・ホリデイ

I'm in love with you Always, with the love that's true Always.で始まる
アービング・バーリンの粋な小唄。残念ながらビリーホリデイの盤は
CD化されていないようですが、1955年ニューヨーク録音、
トニー・スコットのクラリネットなどをバックに録音されたヴァーヴレーベルの
BILLIE HOLIDAY AT THE J.A.T.P.(邦題:ビリー・ホリデイの魂)所収の
表題曲はなんとも親しみがあって昔から好きでした。
この時代のビリーの歌声には、曇り空の日に裏通りの喫茶店の片隅で
聴きたくなるような、人を惹きつける温かみがあります。


 

VOL.089 * 2004/09/07


「川が海にそそぐあたり」 めんたんぴん

私が生まれた土地が、川が海にそそぐ地点の近くだったせいもあり
学生時代によく聴きました。潮の干満の影響で川幅が変化したり
時には逆流したりする河口近くの雰囲気が西海岸ロックのスタイルで
演奏されるゴキゲンなサウンドでした。めんたんぴんには関西とも
東京とも異なったカラーがあり、しいて言えば名古屋のセンチメンタルシティロマンス
に近い「中部地方」ロックと言えるでしょうか。もとのメンバーが
現在でも地元の金沢中心に活動されているようです。


 

VOL.088 * 2004/09/06


「セプテンバー・ソング」 ナット・キング・コール

「1月から始まって12月まで、1年間はほんとうに長い。でも、
9月まで来てしまうと突然 日々は短く変化する…」
こんな文句で始まるクルト・ワイルの名曲「セプテンバー・ソング」は、
後年この曲のすばらしさに触発されて「旅愁」という映画が作られたほどです。
人の一生を一年にたとえると9月ごろというのは、そろそろ年内に出来ること
出来ないことの見通しもついてきて、出来ることの絞込みにより
残された日々の充実をはかろうかという心境にもなるのでしょうか。
「この少なくて貴重な日々を、私はあなたと過ごす…」愛する人に言われたいですよね


 

VOL.087 * 2004/09/05


「ふたつの手の想い出」 森山良子

私が森山良子のベスト10を選ぶとすれば必ずこの曲は入れるでしょう。
1967年のシングルで、万里村ゆき子作詞・鈴木邦彦作曲という
GSの世界に近い作家によるカレッジフォークスタイルの曲です。
初恋の感傷が美しく描かれて、現代の歌手が上手くカバーすれば売れるかもしれません。
秀逸は二番のなかば以降の歌詞で、「並んで歩いた道を1人で あるいてく、
このさびしさが やがていつか 私をおとなに 変えるということを
ふたつの手の想い出が 私に おしえてる 私に おしえてる」


「ふたつの手の想い出」森山良子シングル盤画像
「ふたつの手の想い出」森山良子 シングル盤
 

VOL.086 * 2004/09/04


「アナザー・デイ」 ポール・マッカートニー

夏の休暇も終わり、通勤の人ごみに揉まれながらこの歌を思い出している人々が
世界中にかなりの人数いるのではないでしょうか。
この曲ではキャリアのある女性が題材になってはいますが、
来る日も来る日も同じ時間に同じ行動を強いられる勤め人なら
誰でも身につまされる内容がさらりと歌われています。
ビートルズ解散後P・マッカートニーの初ソロヒットが出た1971年、
中学生の私はそのころ集英社の「ガッツ」という楽譜誌に
のっていたこの曲を意味もわからず練習していました。


 

VOL.085 * 2004/09/03


「下宿屋」 加川 良

「京都の秋の夕暮れは…」で始まるオジサン世代の代表的ラップ。
真ん中でワンコーラスだけメロディが付きますがあとはすべて語りです。
ただ今のラップと全く違う点は、ビートのないこと、叫びのないこと、不平のないこと。
「何がいいとか 悪いとか そんなことじゃないんです。」「下宿屋」を思い出したのは
久しぶりなのですが、このフレーズは何かの折にしばしば頭をよぎります。
今でも京都の片隅の二階の一間に、こんな人が棲んでたりするんでしょうか。
「彼はいつも誰かと そして何かを 待っていた様子で
ガラス戸がふるえるだけでも 『ハイ』って答えていました。」


 

VOL.084 * 2004/09/02


「うつろな愛」 カーリー・サイモン

髪を少し伸ばした学生服の高校生にとっての、憧れのカッコイイお姐さんの歌。
キャロル・キングの「イッツ・トゥー・レイト」やカーリー・サイモンの表題曲は
まさしく、そのような存在の曲でした。なにより英語のアクセントとたたみかけるメロディが
ぴったりと合って気持ちいいったらないのです。そして、自分でもこんな風に歌えたらと
挑戦もしたのですが、イッツ・トゥー・レイトはまだしもこの曲は英語でべらんめえの
啖呵を切る感じでとてもまね出来ませんでした。ちなみに原題 You're so vain の vain は、
中身の無い、うつろなという意味ですがここでは「あなた自惚れすぎよ」くらいに
訳すべきらしいです。でもやっぱり「うつろな愛」のほうが売れたでしょうね。


 

VOL.083 * 2004/09/01


九月の雨」 太田裕美

松本隆がこの曲を書いたとき、もちろんジョージ・シアリングの名曲
「セプテンバー・インザ・レイン」が念頭にあったとおもわれます。
シアリング独特のビブラフォンとピアノがユニゾンで奏でる気持ちのいいサウンドです。
どちらかといえば美しい街並みを濡らす秋雨といった印象の曲を下敷きに、
松本は1977年の日本の女の娘の物語としてがらっと異なる情況を描き出しました。
こちらは突然広がる暗雲に驚くまもなく驟雨におそわれるといった風情です。
アイドル歌手ながら中身のしっかり詰まった声で高音まで伸びる歌は
なかなか気持ちの良いもので、この季節にいちどは聴きたい曲です。


 

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