コラム

OYAJI NO UTA

by 安藤弘志

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オヤジのうた曲名リスト

VOL.235 * 2005/01/31
 


「リカード・ボサノバ」 ハンク・モーブレイ

高校時代にジャズに目覚めて名盤・名演奏をすこしずつ自分なりに
頭の中で整理していた頃、ボサノバといえばゲッツジルベルトさらに
渡辺貞夫へと至るジョビンを源とする本流の印象が強く、ファンキーな支流
の存在を全く知りませんでした。60年代中頃に日本で流行りすぎた反動も
あったのかも知れませんが、70年代のジャズ批評家がそれを語ることを
避けていたフシもあります。ですから表題曲や「ブルー・ボサ」などを
偶然聴いたときに大げさに言えばゴミ箱から宝物を見つけたような感激が
ありました。若いモンにも勧めたいですね、ゴミ箱あさり。

デル株式会社

VOL.234 * 2005/01/30
 


「ジャングルコング」 庄野真代

1980年渡辺真知子がカネボウ化粧品の春キャンペーン用イメージソングとして
「唇よ、熱く君を語れ」を歌ったとき、対抗するポーラ化粧品に起用されたのが
「Hey Lady 優しくなれるかい」の庄野真代でした。ちなみに資生堂化粧品が
「不思議なピーチパイ」の竹内まりやで、ファーストネーム「ま」の三すくみ状態だったのですね。
78年の大ヒット「飛んでイスタンブール」もそうですが庄野の全盛期の楽曲は
筒美京平
の作曲がほとんどで、表題曲も79年に出た筒美氏によるサンバです。
「オレー、オレー」で始まるサンバといえば実に四半世紀を経て降臨した「マツケンサンバ2」
ですが、このあいだは竹村淳さんのラテンの番組でも正統なサンバとして取り上げていました。


VOL.233 * 2005/01/29
 


「ハーバー・ライト」 ウィリー・ネルソン

渡辺真知子
かもめが翔んだ日」の冒頭から思いつきましたが、1937年に出来た
古いスタンダード・ナンバーです。同じプラターズのヒット「夕陽に赤い帆」も手がけた
ヒュー・ウィリアムスによるものですね。私は少年時代にビリー・ヴォーン楽団の演奏で
この曲に出会ったので、豪華リゾートホテルのBGMはこんな感じだろうかといった
印象だったのですが、成人してのちウィリーの歌で聴き直して評価を改めました。
思い出の港で、愛する人とあらがえない別離に直面した心情を、抑制した感情で
淡々と歌う声を聴くと、誰しもしんみりとした空間に引きずりこまれるでしょう。そして歌の最後の
That someday harbor lights  Will bring you back to me で希望の灯の暖かみを感じます。


VOL.232 * 2005/01/28
 


「ロンリーレイルウェイ」 渡辺真知子

横須賀出身のシンガーソングライター、渡辺真知子は1977年のデビュー作
「迷い道」から数年のあいだコンスタントにシングルヒットを出していました。
港や海をモチーフにした表現が得意で声も表情も明るいのですが、
けっして豪華客船が接岸する華やかな大桟橋の雰囲気でばかりではなく、
関係者以外立入禁止の表示がありそうな埠頭や倉庫の影も感じられました。
そんな陽と陰の両面が順番に出たり、混ざったりしながら不思議な
魅力を発揮していた頃の傑作のひとつが表題曲です。伊藤アキラの詞の暗さは、
演歌的とも言えるのですが渡辺の曲と声が中和して絶妙な色を放っています。


VOL.231 * 2005/01/27
 


「南から来た用心棒」 ラオール

オジサン達はどちらかといえばマカロニウェスタンで西部劇に目覚めた世代です。
保護者同伴でなく映画を見始めた60年代後半頃がちょうど全盛時代でした。
マカロニの音楽と言えばエンニオ・モリコーネがまず浮かびますが、表題曲は当時
巨匠に次ぐ存在だったフランチェスコ・デ・マージによるものです。
そういえば、主演も用心棒のトップスター、クリント・イーストウッドに次ぐ存在の
ジュリアーノ・ジェンマだったので2番手コンビの映画とも言えますね。
ラオールの歌う主題歌 The Man From Nowhere は、歌つきのマカロニウェスタン音楽
の中でも最上級の出来では? As he had come He rode away, A man with a gun All alone.


VOL.230 * 2005/01/26
 


「木枯えれじい」 加川良

AマイナーとGのコードを交互に掻き鳴らしながら、うなるような口調で
この曲をまねして歌った高校生が全国に沢山いたようです。検索してみたらイイ歳こいた
オッサンが、思い入れの足跡をネット上に語っているのが散見されました。
もうひとつ今回調べてわかったのはこの曲のそもそもの誕生のいきさつ。
70年代はじめのNHK単発ドラマ、たぶん佐々木昭一郎「さすらい」など当時の
ニューシネマ的な名作に並ぶ1本だと思うのですが、O・ヘンリーの小説を
福田善之が翻案した同名の作品のテーマソングとして西岡たかしが作曲したらしい。
舞台はもちろん、屋台の焼きソバが20円だった戦後焼け跡時代です。


VOL.229 * 2005/01/25
 


「ノット・ア・セカンド・タイム」 ビートルズ

少年時代に刷り込まれた「ミート・ザ・ビートルズ」の記憶はオヤジになった今も
何かのきっかけで疼きだします。ラジオで久しぶりに表題曲を聴いた数時間後、
台所でいただき物のタクアンを刻んでいたら無意識に口ずさんでいました。
ジョン・レノンはタクアンを刻んだことがあったろうかなどと馬鹿なことを考えながらも、
日本の中年音楽ファンのそこそこ恵まれた環境に対して感謝するのでした。
この曲の場合、特に間奏のピアノの響きにセンチメンタルな部分が刺激されますが、
もちろん若い頃に刻まれた感動そのものには及びません。
ビートルズの居た風景はまさしくYou're Back Again, No, No, Not a Second Time.


VOL.228 * 2005/01/24
 


「ラストダンスは僕に」 上田正樹

昨日登場の「ラスト・ワルツ」と間違えやすいですが、こちらはワルツでなくルンバ。
一般的には「ラストダンスは私に」ですが、上田正樹はさらに曲を自分に引き寄せて
レゲエのリズムを加え、タイトルも変えています。ブラスのきいたアレンジの
せいもあり、もともとこんな曲という感じさえする完成度の高いカヴァーになっています。
調べてみると原曲 Save The Last Dance は1960年代はじめにコーラスグループの
ドリフターズの歌で世に出て、その後フランスに渡りシャンソンテイストが混ざり
ダンス音楽の定番の中に入ったようです。日本に広めたのは越路吹雪
周防監督の映画「Sall We ダンス?」でも効果的に使われています。


VOL.227 * 2005/01/23
 


「ラスト・ワルツ」 エンゲルベルト・フンパーディンク

1979年の今ごろだったと思います。西鉄大牟田線が福岡市をはずれるあたりに
井尻という駅がありますが、その駅からしばらく歩いた県道31号線沿いに
小さなミュージックホールがあったのです。あんまり小さいので
どこに座っても全席かぶりつきというアットホームな小屋で
「ラスト・ワルツ」のBGMにのって踊られたソロ・ダンスショーが忘れられません。
場違いなほど若くて可愛い踊り子の呼び名はマリー・アントワネットだったでしょうか。
職場の同僚と短期間に2回かよって、一致した感想は「視覚の快楽の一極限」。
青年の文化的価値観を揺るがせた小劇場も、とうに無くなっているようです。


VOL.226 * 2005/01/22
 


「長崎慕情」 渚ゆう子

1971年の暮れから72年の今頃にかけて、しっとりとヒットした純歌謡曲です。
「京都の恋」「京都慕情」と続いた林春生作詞、ベンチャーズ作曲の第3弾ですが
私はこれが最も好きです。ただ、ザ・ベンチャーズというバンドが余りに日本に
どっぷり浸かり過ぎたこの頃のために、日本でもアメリカ本国でも過小評価される
きらいが有ったことは否めません。最近では私らオジサン世代も含め、表層的な
拒否反応への反省をこめて再評価する機運がすっかり定着しました。
表題曲はDマイナーのキーに混ざるBフラットコードとサビのFへの転調が魅力的です。
♪ああ雨にまどろむ 濡れたオランダ坂 ひとり歩きの 港へ行く石だたみ


VOL.225 * 2005/01/21
 


「ジェラシー」 アルフレッド・ハウゼOhc.

タンゴの巨匠アルフレッド・ハウゼが亡くなられたそうで、また少し20世紀の音楽が
過去のものへと動いたような気がします。私が表題曲や「碧空」のメロディーを
覚えたのはたぶん12歳前後、父が通販で買ったポピュラー音楽大全集といった
組レコードの1枚だったと思います。ひとつの曲に心地よい旋律がいくつも含まれる
豪華さに圧倒されました。学校の教科書の音楽や人気歌手の歌う歌謡曲と、
もし単純に比較するなら絶対に勝っているのに世の中の人はわかって居るのだろうか。
そんな素朴な疑問を子供心に持った記憶があります。一説によると「ジェラシー」が
コンチネンタルタンゴの中で演奏回数が一番多いらしく、わかっている人は確かに居ます。


VOL.224 * 2005/01/20
 


「虹のように」 成田賢

1971年にまさしく虹のように一瞬あらわれてきえてしまったような印象でした。
私にとって表題曲でしか知らなかった成田賢ですが、調べてみると
もともとはクループサウンズのヴォーカリストだったようです。
GSブームが去ってしばらくのブランクのあと、ガロと同じデノンレーベルで
このアルバム「眠りからさめて」をリリース、コーラスやハーモニカで色々な
セッションにも参加したようです。その後はキャラメルコーンのCMや
デンジマンなど石森章太郎を中心とするアニメ音楽の分野で活躍していたのですね。
♪何もかも今は 輝いてる それは まるで 激しい嵐のあとの 美しい虹の ように


VOL.223 * 2005/01/19
 


「ネイチャー・ボーイ」 ジョージ・ベンソン

1948年のナット・キング・コール代表作のひとつですが、その後さまざまな
シンガーに愛され歌い継がれているナンバーです。最近ではセリーヌ・ディオン
歌でご存知の方も多いでしょう。おじさん達の世代はオールディーズとして
オリジナルに接したあと、70年代にジョージ・ベンソンのギター弾き語りで
再認識しています。16ビートに置きかわってはいますが、オリジナルの持つ
神秘的な雰囲気は時代の中でしっかりと受け継がれています。
「ネイチャーボーイが僕に言ってくれた、君がもっとも知るべきなのは
愛することと愛し返されること。」時代を超えてかみしめたいフレーズです。


VOL.222 * 2005/01/18
 


「ユー・ラスカル・ユー」 ニューオリンズ・ラスカルズ

神戸についての記憶をさがしてみると先ず出てくるのが学生時代に行った
神戸みなと祭りのジャズフェスとパレードです。1974年か、5年だったでしょうか。
初夏の陽気に誘われて元町そごうの屋上に出掛けて、日本一流の
ディキシーランドジャズを楽しみました。そうそうたる顔ぶれが次々に登場する中でも
ひときわ輝いていたのが、ニューオリンズ名誉市民の称号を持つラスカルズの面々です。
RASCALというのは限りない親愛をこめた蔑称とでもいうニュアンスでしょうか。
表題曲を強いて和訳すると「ニャロメ、コンニャロメ、まだ生きてたか」ってなもんです。
演奏はやがて路上のパレードに移行し、私もチャールストンの真似をしながら参加しました。


ニューオリンズラスカルズLP画像
ニューオリンズラスカルズLP


VOL.221 * 2005/01/17
 


ティコ・ティコ」 マニュエルとミュージックオブザマウンテン

前日とりあげた天井邦夫氏に私は一度会ったことがあるのを思い出しました。
1971年にオールナイトニッポンの企画で、当時広がりつつあった地方オンエア局を
中心に日本じゅうをパーソナリティが旅をする「ビバ栗毛5000キロ」というのがあったのです。
九州への旅は当時就航したばかりの大型カーフェリーで日向港へ上陸してスタートです。
16歳の私は自転車で出迎えに行き、落書きだらけのホンダ1300クーペで降り立った
天井邦夫、今仁哲夫両氏を迎える十数人の歓迎陣の中に加わり挨拶をしました。
地元ラジオ局は未だネットをしていない頃だったので結構よろこんでいただけたようです。
表題曲はテッチャンこと今仁哲夫氏が金曜25時の番組内でことあるごとにかけたものです。


VOL.220 * 2005/01/16
 


「マイ・ウェイ」 天井邦夫

1970年ごろに深夜放送「オールナイトニッポン」木曜日25時にアマちゃんの愛称で
パーソナリティを勤めた天井さんは歌手ではありません。最近ニッポン放送の
株式問題の報道で久しぶりにこの人の名前を見ました。なんと代表取締役副社長
の肩書きがついているではないですか。社長の亀渕昭信氏(同、土曜日担当カメちゃん)同様、
当時のビバヤングフリークにとっては感慨深いものがあります。ところで、
フランクシナトラの表題曲のヒットは69年ですが、たしか日本のベストテンには
登場しなかったと思います。私がマイ・ウェイを初めて聞いたのはアマちゃんが
洋楽の直訳を擬似カラオケで歌う「字あまりソング?」コーナーだったと記憶しています。


VOL.219 * 2005/01/15
 


「グッド・ベイト」 ジョン・コルトレーン

コルトレーン初期のプレスティッジレーベル盤の中でも定評ある一枚
「ソウルトレイン」で、レッドガーランドトリオをバックに吹いたゴキゲンな演奏。
バップ草創期のピアニスト、タッドダメロンの作曲ですがおそらく
マイルスデイビスを介してコルトレーンへ繋がったと思われます。
ジャズナンバーの中でも最も楽天的なブルースのひとつではないでしょうか。
GOOD BAIT は直訳すれば良い餌、ですがジャズメンにとって確かに素敵なご馳走です。
若い頃にクスリに溺れたコルトレーンが知的で真摯な表現者へ変貌する一枚、
脳天気な表題曲の次に演奏される I WANT TO TALK ABOUT YOU への上昇がすごい。


VOL.218 * 2005/01/14
 


「僕の街へ」 竹内まりや

竹内まりやにとって初期のピークとなる曲のひとつとして、マニアには評価が
高いようです。この後しばらくブランクを置いて「VARIETY」で再登場した時とは
あきらかに違う、少年の要素さえ含んだ若い魅力が感じられます。
RCA時代の彼女の歌は、学生仲間の共通のアイドルとしてあこがれや
嫉妬の対象の中心に居る少女が、精一杯好きな音楽をやっているという
雰囲気で一貫していました。そして、そろそろ次のステップのために居場所を
移そうかという気分の変化を示したのが表題曲です。竹内自身の詞に林哲司の曲。
バックバンドのセンチメンタルシティロマンスの演奏が暖かく見守っているかのようです。


「ポートレイト」竹内まりやLP画像
「ポートレイト」竹内まりやLP


VOL.217 * 2005/01/13
 


「イエローリバー」 クリスティー

クリスティーというグループはこの曲を作ったジェフ・クリスティと
「サイレンス・イズ・ゴールデン」のトレメローズの共同ユニットのようです。
1970年の彼らの1発ヒットは浮き立つようなリズムで中学生だったオジサンの
少年時代の耳にも深く印象に残りました。乾いたエレキギターの音色と
テンポの良いコーラスの響きを、純粋なポップロックとして楽しんでいたと思います。
今、歌詞を読み返してみると結構重たい内容だったことに驚きました。
戦場にいた兵士が故郷のイエローリバーに帰れることを喜んで浮かれる内容の
歌詞なのですが、深読みすれば傷つき戦死しようとする最後の独白ともとれるのです。


VOL.216 * 2005/01/12
 


「自由通りの午后」 アイ・ジョージ

アイ・ジョージといっても知らない人も増えてきたでしょうが、ラテン系ポップス
を得意とした歌唱力型の日本人歌手です。洋楽カバー以外のヒット曲では、
一時期「NHKのど自慢」頻出曲だった「硝子のジョニー」「赤いグラス」などが
あります。60年代には皆勤した紅白歌合戦の最後の出演になったのが1971年の
表題曲、松山猛作詞・田中唯士作曲でヤマハのコンテストにも参加しました。
たしかピース・シティーというグループと競作だか共演だったと思います。
「緑の中を一人かけめぐる 今日はあなたに会えないけれど」こんな歌詞で
のどかな昼下がりの町を淡々と描写します。「ここは 自由通り ぼくは幸せ」


VOL.215 * 2005/01/11
 


「ユーマストビリーブインスプリング」 ビル・エヴァンス

ジャズの世界の季語でいえば、この曲は春ではなく冬ですね。
「シェルブールの雨傘」のコンポーザーでジャズピアニストでもある
ミシェル・ルグランが1966年に映画「ロシュフォールの恋人たち」に書いた
美しくもどこか物悲しい旋律。そしてビル・エヴァンスの演奏は
さらに寂寥感に満ちているのです。ただし題名にもある通り、この世は
冬だけじゃないという毅然とした信念がフレーズの端々に感じられるので
寒さにこごえながらも心温かくいられる、そんな気がします。
ヴォーカルの盤ではイギリスの歌手クリオ・レーンなども良いですよ。


VOL.214 * 2005/01/10
 


「二十歳の頃」 アリス

成人の日に安直な選曲で申し訳ありませんが、他にあまり思い出がないもので。
学生時代に帰省から戻るのが大体10日頃だったでしょうか。関西は今宮や西宮の戎さんの
縁日でなんとなく浮き立っていました。そして15日は京都競馬場でサラブレッドの
成人レース「シンザン記念」がかならず開催されていました。高野悦子二十歳の原点」が
話題になった1969年から、5年後に表題曲が世に出てその1年後が私の二十歳。
谷村新司ひきいるアリスというグループについては、関西ネイティブの同級生と
思い入れの温度差が有りましたね。九州では大阪のラジオ局の深夜放送が聞きにくかった
せいもあるでしょう。なかにし礼都倉俊一によるこの曲は、それでも気に入っていました。


VOL.213 * 2005/01/09
 


「コールド・コールド・ハート」 コニー・フランシス

ハンク・ウィリアムズ
作のカントリースタンダードですが近年では
ノラ・ジョーンズも好んで歌っているようです。ふとした行き違いから
猜疑心に固まってしまった恋人のコールド・ハートを愛で溶かしたいと歌う
なんとも切ないラヴバラードです。コニー・フランシスといえば子どもの頃聞いた
日本でのヒットやカバー曲が、「カラーに口紅」「バケーション」「可愛いベイビー」
などバブルガムロックに片寄っているせいで軽い歌手と言う先入観がありました。
学生時代にFMの特集などで彼女のバラードの甘い表現力に魅せられました。
「ボーイハント」「マイハピネス」「渚のデート」、歌声が心にひたひたと迫ります。


VOL.212 * 2005/01/08
 


白い想い出」 山崎唯

「雪がふってきたー ほんの少しだけーれど」 Am7/CMj7 の繰り返しで始まる
しっとりした小品です。作詞作曲のピアニスト山崎唯は1960年代末に
トッポジージョ」の声優で一世を風靡した方です。といってもご存じない人も
多いでしょうが、トッポジージョは黒い背景の前で動く蝶ネクタイをしたネズミの
パペット人形で、照れたようなしぐさと母性をくすぐる喋りかたで人気を集めました。
表題曲は山崎氏が夫人の久里千春さんに贈った曲だということです。
70年代に入ってアルゼンチン出身で日本語も歌える歌手のグラシェラ・スサーナの盤が
ヒットして、その後ダークダックスなどでも歌い継がれています。


VOL.211 * 2005/01/07
 


ひとりぼっちの野原」 キャッツ

1970年の暮れにオランダのグループが歌って欧米ではたいしてヒットしなかった
ようなのですが、71年の夏前になって日本では少し売れています。ちょうど、
アンディ・ウィリアムズの「ある愛の詩」がビッグヒットした時期です。
原題が I Walk Through the Fields でDマイナーとDメジャーのコードが
交錯してかもしだす幻想的な雰囲気が、ブラフォーのヒット「グリーンフィールズ」
を連想させます。去ってしまった彼女を想いながら靴を手に持って裸足で
草原をさまよう…そんな出だしから、メジャーに転調することによって
彼女の顔が浮かび、唇を感じる夢想。She keeps on running through my mind.


VOL.210 * 2005/01/06
 


「田中君じゃないか」 かぐや姫

同窓生と久しぶりに会って、スクエアな社会人を勤めている友人と
根無し草の自分とのギャップが明らかになるという設定は、
西岡たかしうろこ雲の絵」などと共通します。ただし西岡のほうは
人生の円熟期における独白なのに対し、表題曲は学校を出て数年後に
ダブル背広が似合って役職の話もある友人の姿を偶然見て
自分のスタートした方向が間違っていたのではと、あせった気持ちが
ユーモラスに綴られています。この季節、同窓会、成人式と続きますが、ひそかに
較べてしまう感覚はなんとも日本的ですよね。「笑顔で別れたけど 後に残るわびしさー」


VOL.209 * 2005/01/05
 


「ホリデイ」 ビージーズ

休暇を終えて完結した休日をかみしめたりしている方も居るでしょうか。
表題曲がヒットした頃、小学生だった私は冒頭の Oh you're a Holiday のフレーズを
なんとなく「おおぞら はれーてー」だと思い込んでいた記憶があります。
大人になってあらためて聴きこんでみても、あながち的外れではなかった気がします。
過ぎ去った日のことを遠く見つめながら、漠然としたものと対話するような
奇妙なロック抒情詩ともいえるこの曲に空のビデオクリップは似合いそうです。
Holiday を文字通り神聖な日とか、安息日ととらえることも可能でしょうが、
私の耳には身体や思考を休めた後に、魂に投じられた Throwing Stones と響きます。


VOL.208 * 2005/01/04
 


「白い鳥にのって」 シューベルツ

とり年にちなんで、もう1曲空をとびましょうか。若き日の杉田二郎が、
北山修の詞をたからかに歌い上げます。1970年当時としては何か
とびぬけてしゃれたフォークソングに聴こえました。
曲の構成がA-A-B-C-Dと発展して出だしのメロディーに戻らないので
舞い上がった鳥が元の地面には戻らずに飛んでいってしまう感覚です。
「涙、涙はみんな銀色の 雲にあずけよーう」地上の悩み事はあっさりと
放り出して上昇し続けます。「誰もしらない 小さな星で ふたりだけで暮らすのさ」
「ふたりの恋は 空にかがやき」リフレーンは続きます「ふたりはやがて 星になるのさ」


VOL.207 * 2005/01/03
 


「ビートでジャンプ」 ソニー・クリス

二日酔いや三日酔いの頭をそろそろすっきりさせて、前向きで行動的な
気持ちに切り替えたいナーとお考えの方におすすめのアルバムです。
表題曲は1967年ごろのジム・ウェッブ作で5th.ディメンション のヒットナンバー。
原題
Up UP And Away をカタカナにするとわずらわしいので、あえて邦題を採用しました。
男女のさわやかなコーラスも悪くは無いのですが、歌詞があまりに憂いがなく
航空会社のCMソングを聞かされている気もするので、ブルースのスパイスを
加えたジャズのクッキングの方が、はるかに感情移入しやすいのです。
タル・ファロー(g)、シダー・ウォルトン(p)のリズムに乗ってソニーのアルトが飛びます。


VOL.206 * 2005/01/02
 


「春よ来い」 はっぴいえんど

「12月の雨の日」をとりあげた時も松任谷由実の類似曲を話題にしましたが
考えてみればこれも同じですね。1970年の表題曲から実に24年の時を経て
ユーミンの「春よ、来い」は出ましたがもちろんこちらも全く別の曲です。
松本隆の詞ははっぴいえんど時代から秀逸で、ミュージシャンがどちらかといえば
ふれずに済まそうとする家庭や下積み生活がリアルにコミカルに描かれます。
「お正月と言えば コタツを囲んで お雑煮を食べながら カルタをしていたものです」
と、回想する一人暮らしの長髪の青年のわびしい正月風景が目に浮かびます。
「家さえ飛び出なければ 今ごろ皆んな揃って おめでとうが言えたのに どこで間違えたのか…」


VOL.205 * 2005/01/01
 


「朝日の如く爽やかに」 M.J.Q.

学生時代に帰省して故郷の町で迎えた元旦は、高校時代の友達を誘い合って
自転車で行ける程の距離にある築港へ初日の出を見に行きました。
はたち前の物好きな少年まるだしでむき出しのギターを背中にしょい
夜明け前の道を自転車こいでたどり着きました。しかし指がかじかんだせいで
格好良くBGMを奏でるはずが「無理しちゃってバカじゃない?」的ありさま
だったと思います。かろうじて表題曲のテーマを何度か弾いた時に
「それ、ひょっとしてソフトリー?」と分ってもらえて安心した記憶があります。


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