コラム

OYAJI NO UTA

by 安藤弘志

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'05-下期分

オヤジのうた曲名リスト


VOL.438 * 2006/06/29


「雨に濡れた慕情」 ちあきなおみ

今日一日くらいは梅雨の中休みかと思っていたら夕方からまたまた雨です。
上期の最後にふさわしい曲をあれこれ考えていたのですが、どうしても「濡れた」
情景がイメージされて1969年のちあきなおみデビュー曲に行き着きました。
♪雨の降る夜はー なぜか逢いたくてー。八分音符と全音符の繰り返しは、
街角の軒先で雨のやみ間を待っているような落ち着かない気分で始まります。
おいしいのはサビ。「すきでわかれたー」の「れ」の音と、「あまえてーみーたいー」
の「みー」が半音の違いで強調されていかにも昭和の都会的雰囲気ですね。
実はこの曲は雑誌「明星」の附録歌本誌上レッスンに応募した彼女が認められて、
プロデビューにあたり講師である作曲家・鈴木淳によって書かれた曲なんですね。

役に立つ買物情報も毎日更新していますのでどうぞ

VOL.437 * 2006/06/23



「グッバイ・サムライ」

2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会、日本代表は予選組の最下位で戦いを
終えました。今朝のブラジル戦終了後に独り芝生に仰向けになり何かをつぶやく
中田ヒデ選手の姿に、これは連載劇画の最終回だったのかと思ってしまったり。
これでジーコ監督はクビになるのかな、でもあのジーコでさえダメだったということで
後任を引き受ける人が居ないかもとか。海外リーグで日本人選手の評価が下がり
ますます出番がなくなりはしないか、等々シロウトが色んなことを考えてしまいます。
でも電車の中で高校生が生意気な顔をして終盤の決定力不足がどうのと偉そうに
批評しているのを聞くと代表選手の皆さん、かわいそうやなと感じました。
ところで、後で知ったのですが同時に試合をしたオーストラリアが勝っていた場合
日本がたとえ10対0でブラジルに勝っても決勝に行けなかったのですね。
試合前にはその点をうやむやに、2点差以上で勝てばなんとかなるという言い方を
各マスコミが揃ってしていました。サッカーだから良いけれど、こんな調子で
勝てない戦争に駆り出されることがもしもあったらイヤですね。



VOL.436 * 2006/06/17



「雨が降る日」 トワエモア

オジサンの高校生時分には、こんなにも心地よく雨の日を歌った音楽が
じめじめした気分を救ってくれたのです。山上路夫さんの詞がまず秀逸。
♪街の舗道に 明るい雨が 木々を濡らして 降りそそぐ… 出だしの8小節で
雨降りの日の中からポジティブな要素を上手に抽出して整えた舞台が出来ます。
そこへ、一つの傘に肩を寄せ合った二人が登場そしてヒロインの独白。
♪二つ違いの あなたと私 雨を見てきた数だって あなたの方がそれだけ多い
どこであなたは見てきたの… 人生の深遠な部分にも少し触るような想い。
結局、これからは二人で同じ雨を見続けたいという甘い恋の歌に収斂するのですが、
瀬尾一三作曲のボサノヴァのメロディがなんとも美しい彩りで若さを表現しました。



VOL.435 * 2006/06/08



「ロックンロールミュージック」 ビートルズ

PLAYBOY日本版(月刊)6月号の特集と表紙はサッカーW杯関連ではなく
「BEATLES IN JAPAN」でした。そうです今月はビートルズ来日から40年の
記念月になるわけですね。書店で目にして抱いた感慨はビートルズそのものにも
増して”40年”というものが、とても具体的に感じられたことです。白黒TVで武道館からの
中継を観た小学生の私は、1曲目の「ロックンロールミュージック」から当時の最新曲の
「ペイパーバックライター」へ音楽が発展・変化していることは感じられる程度に成長は
していました。あの時から今現在までが40年なのかと考えると、それを二つ重ねた昔が
昭和元年で母の生まれた時代。十重ねた400年昔は加藤清正が熊本城を築いた頃。
かなり遠い昔までの距離をなんとなく感覚で捉えることが出来るのです。それにしても
あのTV中継の音質は、観衆の集団で持続する嬌声を社会現象として報道する意図
もあったのでしょう、ジョンの歌うロックンロールはとぎれとぎれにしか聴けませんでした。



VOL.434 * 2006/06/01



「パチンコ依存症」

NHK総合TV夜7時半の「クローズアップ現代」、昨夜のテーマは「深刻、
パチンコ依存症 対策は」という内容でした。けっしてマスコミでとりあげられる
頻度は高くないのですがけっこう深刻な問題です。こういう番組にNHKの存在意義
を感じますね。民放でこの内容の番組が流せるかと考えてみると、特に熊本ローカル局の
地元スポンサーに占めるパチンコ屋さんの比重を考えると、まあ無理でしょう。
オジサンも昔々パチンコ依存症気味だった時代があります。まだ原始的な役モノでしたが
チューリップが開いて銀色の球がジャランと出てくる感覚を生理的に渇望する気持ちに
囚われて無駄な時間とお金を使いました。幸い1980年代ぐらいに手はじきのレバー式から
今の電動式に変わったのを機にパチと縁を切ることが出来ました。この業界の問題点は
カジノや公営競技場に較べてあまりに日常的な場所と営業時間で存在すること。それと
遊ぶ時間と予算を客が主体的に計画することが難しい点にあります。



VOL.433 * 2006/05/28


「ボビーに首ったけ」 マーシー・ブレーン

サッカーのW杯を間近にして、野球の巨人戦の視聴率が伸びないことなどを論拠に
地域からグローバルな次元までを収斂したサッカーの観戦スポーツとしての優位性を
指摘する声もあります。でも今日までのセ・パ交流戦をTV観戦していると野球の面白さも
目が離せないほど急速に進化している気がするのです。去年の日本シリーズで阪神が
四連敗したときに感じた同じことを巨人の三連敗で感じました。ボビーのマリーンズ野球
は明らかに進化したステージに居ます。WBC直後の開幕時にそろわなかった体勢が
交流戦の時期に整って日本シリーズ時のチームパワーを再現しています。以前も書いたように
観客の期待する得意技を再現するだけでなく、予想を超えることを次々と繰り出してくれる
楽しい野球です。たぶん今のロッテはメジャーリーグを含めて世界最強かも知れません。
それを追ってソフトバンク、西武も近い位置に居ます。少しずつ阪神も寄ってきたかも…。
いずれにしても東京ドームの観客数をマリンスタジアムが上回る日もそう遠くない気がします。
表題曲は西鉄・近鉄なきあとの私のパリーグ贔屓チームの変化のシンボルということで。



VOL.432 * 2006/05/25


「ヒアズ・ザット・レイニー・デイ」 シンガーズアンリミテド

大型連休明けから全国的に天候が湿りがちです。そのぶんたまに晴れると
水気をしっかり含んだ新緑が一斉に蒸散させる酸素を、歩きながら思いっきり
吸い込んで味わったりしています。しかし今回の晴れ間も二日だけの猶予で、
またも現れた寒冷前線がすぐそこまで近づきました。上がる日の後にかならず
それより多い下げの日が続く最近の株式市場と不思議に一致していますね。
こんな季節を耐えるというか、逆に楽しむのにぴったりなナンバーが表題曲です。
しっとりとした混声コーラスが、窓から雨の午後をながめる叙情の世界へ
誘ってくれます。できればジャズ喫茶の窓辺でホットコーヒーを飲みながら
高級再生装置の音で楽しみたいところですね。長いこと喫茶店行ってないなあ。



VOL.431 * 2006/05/13


「阪神・電鉄」

VOL.429の甲子園球場チケットの画像に見えるゴム印で押されたマークが阪神電鉄の
社章ですね。電気を表す稲妻形の周囲に鉄道の象徴のレール、ただそれだけです。
実は創業当時の明治38年頃に本格的な都市間電車線を経営する企業は他に無かったので
電鉄以外の要素を表すデザインの必要がなかったようなのです。国有鉄道より広い軌道
サイズを採用し、大型・高速な車両を走らせたこの私鉄は沿線の住宅地を含む総合開発も
おこない、その一環として大正時代に甲子園球場、昭和14年に梅田地下駅と東洋一規模の
インフラ整備を進めました。他の私鉄のように奇をてらった豪華特急を走らせるのでなく、
普通列車の加減速性能を向上させることにより鉄道自体の利便性を地道に高めています。
タイガース戦の終了にあわせて甲子園駅始発の臨時特急を素早く何本も走らせる技術も
ファンの集客に寄与しています。こういう地味な企業努力の部分をファンドの村上氏はきちんと
認識しているでしょうか。それを踏まえたうえでの企業価値向上提案であって欲しいのですが。



VOL.430 * 2006/04/30


「4,30 天皇賞」

春の天皇賞は関西の競馬ファンにとって地元の最大のレースです。菊花賞や
宝塚記念もありますが、それらはダービーと有馬記念に較べるとなるとやや脇に
控えざるをえません。しかし淀の坂越え2マイルで競われるこのレースは名実ともに
最高峰の古馬重賞競走に違いありません。今年ディープインパクトの戴冠に
立ち会えたファンは本当に幸せですね。強さに感動する楽しさ、TVでも味わえました。
調教師の池江さんは浅見厩舎のメジロジゾウとかケイツナミの騎手として懐かしい
名前です。宮崎県の高城町から出て競馬界に入り、ついに世界の大レースに駒を
送る名伯楽に名を連ねました。それともうひとつ進歩したのはターフの整備技術の進歩。
以前は内ラチ沿いはどうしても芝が剥がれがちだったのですが、今日は長さ14cmだかに
刈り揃えられた緑のじゅうたんがビッシリ美しくレコードタイム更新にも貢献したようです。


1980年代の京都競馬場芝状態(87回天皇賞本場場入場)
1980年代の京都競馬場芝状態(87回天皇賞本場場入場)


VOL.429 * 2006/04/19


「阪神と阪急」

1977年は5月の連休のことでしたね。甲子園の阪神巨人戦、デーゲームでしたけど
見に行ったんです。当時のタイガーズあんまり強くなかったんであっさり負けです。
贔屓の選手達に対してエゲツない野次をあびせる阪神ファン、敵地とはいえ意気揚々の
巨人ファンも結構な数居てます。なんや帰りの電車でこれらの方々と一緒に詰め込まれて
乗るのんイヤンなってしまいまして。で、ぶらぶらと北へさして歩き始めたんです。武庫川と
平行におよそ3キロほどですね、歩くと西宮球場の赤っぽい外壁が目に入りました。
ちょうどアメリカンフットボールの試合だったんでしょうか、関学とおぼしき長身の選手たちと
取り巻きの女子学生がたむろしてます。なんかさっきまでの「あらくたい」世界と異次元の、
当時はやりだったUCLAブランドの世界みたいで、ひたすら羨望するのみです。
私自身は京阪沿線でしたけどね、阪急の特に兵庫県方面の街にはあごがれてました。
おそらく日本一美しい駅名かと密かに思う「雲雀ヶ丘花屋敷」も阪急宝塚線です。


甲子園・西宮両球場の公式戦チケット画像
1977年当時の甲子園・西宮両球場の公式戦チケット



VOL.428 * 2006/04/11


「百年目」 桂 米朝

葉桜の下に薄紅の花びらが散り敷かれて、花見の季節も過ぎ去りました。
今日は米朝師匠の百年目を聞いております。落語に不案内の方に説明させて頂きますが、
これは船場の商家の番頭がお忍びで色街の衆と花見に出かけ、粋な遊びの最中に主人と
ばったり出くわすという話です。管理職のモチベーションを維持しながら上手に諫めようとする
経営者の苦心も表現されていて奥の深い噺になっています。それにしても都心から舟を
仕立てて桜の名所へ横付けする贅沢な遊びを、昔の上方の人は楽しんでいたようです。
新幹線開業に備えて熊本市の魅力を高めようという議論が盛んですが、心豊かに舟で
遊べる場所としての江津湖の存在を再認識してはどうでしょう。舟の外観を洗練させて
遊ぶ人々が同時に景観の一部となるような工夫。それと下江津湖に飲食の仕掛けを
して(サントリー工場の出店とか)散策路を水上から眺めながら行けたらいいでしょうね。


江津湖のボート遊び風景
上江津湖と県庁周辺のビル街



VOL.427 * 2006/04/09


「ダブル・キッス」

今年の桜花賞はアドマイヤベガの仔で三白流星の栗毛、キストゥヘブンが見事な
勝ち方をしました。四コーナー付近でテイエムプリキュアが外によれた、さらに外側
から前に出て先行馬を差し切りです。2着がアドマイヤキッスなのでダブルキッスで一二着
という華やかな桜花賞にふさわしい結果ですね。ふさわしいといえば阪神競馬場に沢山ある
桜の木が今年もちょうど満開でこのレースを迎えました。私も関西に居たころは
クラシックレースの始まりを告げるこの日に、ウキウキしながら宝塚行きの電車に乗った
ものです。競馬場は宝塚劇場などより手前で関西学院大学のある仁川(にがわ)の駅で
降りますが、そこから花びらの舞う道をスタンドへと向かいます。あの頃の馬では、スタート
付近の桜の陰からとび出してゴールまで一度も先頭を譲らなかったデスコガビーを思い出します。



阪神競馬場入場券 1978年桜花賞
1978年 桜花賞の入場券



VOL.426 * 2006/04/08


「ダブル・ヘッダー」 U

前回の最後に書いた機関車のダブル・ヘッダーについて、やっぱり書いておくことにします。
電気機関車というのは国鉄時代の昔でも地域によって個性がまちまちでした。
用途の違いだけでなく、その線区の電化形式つまり交直流や電圧・周波数によって
使える機関車が限られたためです。列車の旅先で出会うふだん見かけない機関車の姿に
驚いたり感慨を抱いたりしたものです。70年代に九州の出口で私を迎えたのが重連で
関門トンネルを行き来するステンレス機関車のEF30でした。そして山陽路をのぼり東海道線に
はいると黒塗りに黄色帯、切り離せない重連機関車EH10型の怪異な容貌に遭遇しました。
往年の関ヶ原越えシェルパの役割は終えた時代でしたが、入れ替え業務のあとに複々線の
線路を機関車だけで駆ける巨大ロボット的な姿はSL以上のロマンを感じさせるものでした。
また、EH10のディーゼル版といえるDD50はエンジンで発電してモーターを回す複雑な構造を
収めるための双子機関車でした。こちらは当時すでに現役でなく、オレンジとグレーの
ツートンカラーが錆びかけた姿を米原駅の構内にあるのを何度か見かけました。
詳しい画像はこちらのサイト「なつかしの日本国有鉄道」下部フレームから型式名を捜すことをおすすめします



VOL.425 * 2006/04/02


ダブル・ヘッダー

野球でダブルといえばダブル・プレー、ダブル・スチールといった華麗なプレーが
思い浮かびますが、昔はダブル・ヘッダーという言葉にも野球少年はウキウキしました。
プロ野球公式戦が二試合立て続けに見られるのですから。たとえひいきチームが
負けても、すぐに雪辱戦が見られる、合計4人の先発ピッチャーが見られると
喜んで出かけたものです。1970年代までは公式戦の日程は火水木と土日でそれぞれ
三連戦を組むことが多かったので必然的に日曜のダブル・ヘッダーが日常的だったんですね。
入場料も二倍ではなく少し割増し程度だったのでお得でした。それが80年代に入ると
めっきり姿を消してしまいます。世の中の週休二日の普及につれて金曜日の夜の試合が
興行的に重要になったせいですね。今は終盤の消化試合でもまれにしか見られません。
英語の語源的には重連の機関車が牽く列車を指すようですがこれも懐かしいです。


甲子園球場 阪神・広島戦ダブルヘッダーの入場券
1976年5月の阪神・広島戦ダブルヘッダーの入場券



VOL.424 * 2006/03/28


「カナディアン・アコーディオン」 井上陽水

もう長いこと我が家では、BSで7時45分からやっている過去の朝ドラ再放映を
時計代わりに見ることが習慣になっています。半年間ずつ月〜土の毎朝流れる
もんですから、期間の終わりごろには主題歌も生活に滲み通ってしまいます。
最近では「ひまわり」の山下達郎、「ぴあの」の久石譲、「ええにょぼ」の中山美穂などの
音楽が思い浮かびます。今やっている「かりん」は細川直美、つみきみほ、筒井道隆が
演じる、戦後すぐの諏訪の高校の同級生の成長過程を描いたもので、表題曲は
井上自身の曲ではなく筒美京平の作です。高原を走るボンネットバスの映像とともに
陽水の陽気な声がひとしきり流れます。4月になったら次の作品が始まるのでしょうけど
予告宣伝とかはありません。私の予想ではドリカムの歌う「ひらり」あたりが来そうな気が。
追記==はずれました。鈴木京香の「君の名は」でした。これは通常の半年モノではなく「おしん」と同様の1年モノですね。



VOL.423 * 2006/03/23


「野球場へ連れてって」 ブルース・スプリングスティーン

日本vsキューバの決勝戦になったワールド・ベースボール・クラシックなのですが、
ちょうど大相撲の優勝決定戦がモンゴルとブルガリア出身の力士で戦われるようなもんで
発祥の地の人々は、自分たちの国技の普及を喜び楽しめばいいんだと思います。
それにしても野球のWBCにしろイラク戦争にしろアメリカが、あらかじめ勝つつもりで
始めたことがおもわく違いになることがこのところ多いですね。でも野球の場合は
王さんも言ってたように日本では「昨日の友は今日の敵」なのですが、大リーグが
始まればこちらは日本も韓国も中米も同じチームで7回には表題曲を一緒に歌う世界な
わけで、WBCよりもこちらを重視した松井選手のような考えもしっかり認めて応援したい。



VOL.422 * 2006/03/21



「OH!ジャパン」

本当に野球ファンで良かった、ありがとう。 若さと老練、技術とメンタリティ。
ないまぜになって魅せてくれた代表チームでしたね、巨人監督時代に暗い顔をして
「ピッチャー鹿取」を告げてたあの王さんが、九州のパリーグ球団に来てから随分
明るくなりました。野次馬として無責任に言ってしまいますが、もし長嶋・中畑コンビが
「日の丸」を背負って出ていたらこの結果は無かったような気がします。それほど
パ・リーグやその出身選手、そして巨人以外の選手たちが活躍してくれました。これを機会に
世界に注目されるパ・リーグの試合の放送が増えてくれることにも期待したいと思います。
 


ジャイアンツ宮崎キャンプでの王監督
ジャイアンツ時代の王監督(宮崎にて)


VOL.421 * 2006/03/14


「フォルス・スタート」

日本時間13日朝のWBC二次リーグ日・米戦8回表のタッチアップのジャッジについて。
三塁走者の西岡選手は最善のタイミングで離塁してホームへ駆け出すために、外野手の
補球寸前に上半身のランニング動作を開始したようです。もちろん片足はしっかりベースに
接しており、捕球の直後にベースを蹴ったのです。これは野球のルール上セーフです。
ただ米国スポーツ文化で大きな位置を占めるフットボールにはフォルススタートという
ルールがあります。センターマンがボールをスナップする寸前は攻撃側の選手は微動する
ことも許されません。おそらく米国人が野球でタッチアップ動作をするときにも意識の奥に
このことが在って上半身も動かないようになっているのではないか。だとしたら文化の違い
が出会った瞬間と認識するのが正しい捉え方かもしれません。「国」を切り口にした野球
大会に存在意義を見つけるとしたら、なにより文化の違いを認識して互いに寛容になる
ことだと思うのです。そんな意味もあって、いち早く気持の切替えに入った西岡に拍手!



VOL.420 * 2006/03/09



「競輪をどうしたもんか」

今年も熊本競輪場の記念レース開催が無事終了し売上も前年より増加したとのことで、
まずは目出度しなんでしょうか。それにしても競輪っていうのはプロスポーツ競技であり、
市の主催する行事でもあり、合法ながらも博打の要素も持つという不思議な空間です。
軍隊風に両コブシを腰だめにして回れ右する係員。選手入場口で旗を振る少々ダサい
レースクイーン。世界の自転車競技で類を見ない丸いヘルメット。等々どうかと思う点は
多々あれども、JRAのようには洗練されない部分に逆に風情を感じたりして愛着を
持ったりもしてます。ただ、これだけはもうやめるべきだと思うのは、
9車立てを六つに分ける枠番制度。算盤でオッズを計算していた昔の名残を
残す意味は全くないし、2車枠の4、6、8番に格下選手を割り振る不自然な
作為もなくせます。枠番車券の発売をやめる代わりに単勝を復活させた方が人気の状況も
掴み易くて楽しめるのですが、法律のからんだお役所仕事だから難しいんでしょうかね。



VOL.419 * 2006/03/05



「煙が目にしみる」 サラ・ヴォーン

厚労省の霞ヶ関本庁がようやく全館禁煙になり、喫煙ルームは撤去、館内
飲食店も終日禁煙になるとの事です。私もそうだったのですが、ストレスだらけの
サラリーマン労働と喫煙はセットで習慣化されます。仕事の前後と中休みはまず
煙草を取り出すという生活に染まっている方々は、健康を手がける役所内にもまだ多数
居られたのでは。ご愁傷様です。この際、雨の日は傘さして外で吸うなどと悪あがきせず
煙以外のささやかな生きがいを見つけることをお勧めします。ただ頭では理解して
決断しても体の中にはやっぱりニコレットのCMのような「スイタイマン」は居るようです。
私の場合は特に寝ているときにそれが起き出したらしく禁煙して数年のあいだ
歯軋りがひどかったのです。歯周病のせいもあっていまや差し歯や入れ歯だらけの
身の上です。SMOKE GETS IN MY TEETH ! でも、以前は煙草抜きのジャズや
ウイスキーなんて楽しみが半減しやしないか恐れてましたが、それは無いので安心を。


VOL.418 * 2006/02/25


「荒川さんは良かったけど」

今回の冬季オリンピックが始まる直前の米国「スポーツイラストレイテッド」誌
による各国のメダル獲得予想では、日本は女子フィギュアの一個だけとなって
いたそうです。彼の国のスポーツジャーナリズムの客観性やアナリストの優秀さに
敬意を払いつつも、同時に此の国のマスコミの危うさも感じてしまいます。TVの
出演者が口を揃えて期待を膨らませた結果、深夜や早朝の五輪中継の視聴率が
何度も10%以上の数字を挙げたようです。そして、待たされて待たされた挙句の
金メダルに国民こぞって喝采となったわけです。まあ野球でも劣勢のチームが九回に
決勝ホームランを打てば感激は増しますけどね。でもスポーツだから許されるのですが、
此の国の歴史では軍隊や国力の過大評価の風潮にマスコミが加担し、挙句の
真珠湾攻撃の成果に国民がこぞって喝采した過去もあり、そこらへんの冷静な反省は
のせられたわれわれもキチンとせねばなりません。


VOL.417 * 2006/02/23


「党首討論の一矢」

ライブドアの元社長がメールで指示して、自民党幹事長の身内に大金が振り込まれたとの
民主党議員の指摘に関して昨日、注目の党首討論が開かれました。結果は各メディアが
報じているようにまたしても前原さんの追求不足というか、腰くだけで時間終了のゴングに
救われたという有様でした。ただ報道には出ませんが彼も小泉さんに「一矢」放ったのです。
「メールや送金の無いことを証明するのは難しい、証明責任は疑った側に在るとおっしゃい
ますが、イラク戦争のときには大量破壊兵器の無いことを証明できないフセインが悪いと
あなたは言ったじゃないですか。」このような内容の一言だったのですが、この部分まったく
同感です。埋もれてしまうには惜しい一言なのでここに掲げる次第です。



VOL.416 * 2006/02/19


「フェブラリーステークス2006」

今年最初の中央競馬GTレースをTVで観て感慨を深めました。いまだに三十年前の
テンポイント世代の感覚をひきずっている身としては驚くことばかりです。馬自体の能力が
まず大きく進歩しています。ダート1600mのタイムが1分34秒というのは芝のトップクラスの
時計でしたけどね。ディープインパクトに較べると地味だけどカネヒキリという馬はますます
強くなったし、なんといっても体がデカイので世界での活躍が楽しみです。それと驚いたのは
東京のGTで関東馬が二頭だけしか出ないという西高東低ぶり。あの頃とまったく逆ですね。
東京の重賞なら関西馬は一二頭というのが当たり前でした。たまに勝ったりしようものなら
今でも覚えています、目黒記念であっと驚いたタイホウヒーローなんて名前を久しぶりに
頭に浮かべました。それにつけても武豊はたいしたジョッキーです。西高東低の原因の
数割は彼によるものと言えそうな気がします。段々お父さんに似てダンディにもなってきてます。


武豊のお父さんの現役騎手時代の勇姿
現役時代の武邦彦師(第87回天皇賞・京都)


VOL.415 * 2006/02/13


「特定銘柄」

近頃の小学校では子供に株の模擬売買をさせたりしているとか、いや本当に
実際の株を持って価格の推移に一喜一憂しているガキもいるとか、この手の話題が
賑やかなこの頃です。確かに株の売買以前に学ばせるべき大事なことがあるという
批判には一理ありますが資本主義社会に居る以上、株主とはどんな存在かという事や
どんな時に痛い目にあうのかを知っておくことにも意味はあるでしょう。
ただし子供が株を買う資金は、お年玉などタダで貰ったお金は使わせないこと。お手伝い
でもいい何らかの労働の代価である必要があります。キャピタルゲインも配当も労働の
結果としての剰余価値と無関係には存在できないことは学ばせなければなりません。
私も実は小学生のころからラジオの株式市況を聞くことがありました。記憶をたどると
当時は先ず「特定銘柄」といって各業種の代表選手のような企業の株価から伝える
のが当たり前で、新聞でも東証一部の冒頭に囲みで載っているものでした。
調べてみるとこれは1982年に廃止されています。だったら個人的に自分だけの
特定銘柄を選出して常時動向を見続けるのも面白いかなどと考えたりもします。



VOL.414 * 2006/02/09



「インプレッションズ」 ジョン・コルトレーン

TVで何度目かの映画「夜の大捜査線」を見ていたら主演のシドニー・ポワチエ
モダンジャズサックスの巨匠コルトレーンの姿が彷彿として、今日はインパルスのお皿を
ひっぱり出しております。二人に共通する印象は知性と、高潔を求める生き方でしょうか。
文句なしにカッコイイし、自分がちょっと「俗」に浸かり過ぎちゃったかと思うときには
彼らの映画や音楽に接して心を洗いたい気持ちになります。それと名前の響きについて
なのですが、COLTRANEっていうのはアメリカ人の姓の中でも秀逸かつユニークで
昔から憧れを感じさせられていました。ピアノのマッコイ・タイナーのTYNERにも
同様の質感がありますね。表題曲は短いテーマの重なりから触発された様々なモードが
展開される叙事詩のような演奏で、60年代の文化のレベルを見直させられます。

 

VOL.413 * 2006/02/06


「サティスファクション」 ローリングストーンズ

今年はたまたま月曜朝に仕事がなく、スーパーボウルを生でじっくり見ることが
できました。一時は第四クォーターの最後までもつれる好ゲームも期待できたのですが
そうは問屋がおろしません。残り時間を余したままピッツバーグ・スティーラーズの勝利が
決定的になってしまい、ハーフタイムショウの表題曲とは裏腹に満足できない余韻の
ファイナルゲームという感じです。しかしロスリスバーガーという変わった名前のQBは
すごい。パスをばんばん決めてプレイオフを勝ち上がったかと思えば、巨体を躍らせて
エンドゾーンにボールをこすらせるタッチダウンも決めました。フィールド上に素早く
仮設された「ベロマーク」のステージ上の、六十を越したミック・ジャガーによる熱唱の
シーンと共に2006年のスーパーボウルは思い出に残ることになりそうです。

 

VOL.412 * 2006/02/01


「パンゲアの刻印」 マイルス・デイビス

30年前の2月1日、大学生だった私はチケット代四千円を無理やりひねり出して
二度と見られないかもしれないマイルスの大阪公演へと出かけました。ジャズの
歴史的名盤の主人公といえるアーチストはその当時もけっこう頻繁に日本公演を
行っていましたが、ジャズの歴史の主人公であるマイルスと同じ空間に居て同じ空気を
吸える体験はちょっと別格の夢の実現でした。その時の彼の七重奏団による演奏は後に、
私の居た夜の部が「パンゲア」、昼の部が「アガルタ」の名を冠され全部で4枚のLP
として本当に歴史に残ることになりました。レコードを再生するたびに、この拍手の中に
私も混ざっているという感慨を抱きます。正直、アフリカの幻の大陸の名のついた
当夜の壮絶な演奏を総ては受けきれず、とまどいも有りました。でも帰りに淀屋橋まで
川沿いを歩いているときにフェスティバルホールから漏れ出たマイルスのサウンドが
不思議な色になって中ノ島の夜空のあちこちに漂っているようなそんな気はしたのです。



1975 マイルス大阪公演チラシ画像
1975 マイルス大阪公演チラシ

 

VOL.411 * 2006/01/27


「全九州フリー”バス”切符」

西鉄が中心になって九州内ほとんどの高速・一般バス路線乗り放題のフリー切符
を計画中でこの四月にも試験販売が始まるとのことです。三日間通用で一万円という
価格は魅力で、普通の旅行者のみならずビジネス使用やお隣の韓国からの観光客
など利用が広がることが予想されます。なんといっても自宅からターミナル、高速バスを
経由して目的地最寄のバス停までフリーパスになるのが魅力ですし、旅先で厳寒や猛暑を
避けて空いた時間を市内バスの車内で過ごすのも良いですね。そんな時に思わぬ素敵な
風景とか店や人との出会いがあるかも知れません。当サイトでもこれからバスに関する
役立つ情報、おすすめの路線や快適車両の紹介など準備していきたいと思っております。

 

VOL.410 * 2006/01/19


「白い船」 井上陽水

首都圏と宮崎を結ぶフェリー運行を担っていた船会社が事実上破産ということに
なったらしいです。前身の日本カーフェリーの時代には私も度々利用したのに残念。
先日、下関駅の項で紹介した寝台列車の黄金時代とも重なる1970年代後半には
日向港だけでも一晩に川崎・大阪・神戸・広島へ向けて次々と出航、別に関西汽船の
神戸便も隔日で運行していました。汽車にしろ船にしろ皆夜のあいだに旅するのが
普通の時代だったんですよね。港を出たら一風呂浴びてからビールの酔いと
緩やかなローリングの中でいつしか眠りにつき、朝目覚めると目的地の港の遠景が
次第に大きくなるのをのんびりと眺めました。表題曲もそんな時代にうまれた
船の別れを描いた小品です。たまには船旅、してみませんか。


日本カーフェリー「セントポーリア」
日本カーフェリー大阪航路「セントポーリア」
日本カーフェリー「美々津丸」
日本カーフェリー川崎航路「美々津丸」


VOL.409 * 2006/01/15


「サラーム・サラーム」 本田竹廣

ジャズミュージシャンの訃報。岩手県宮古出身で音大からジャズピアノの道を
志し、渡辺貞夫と共に大きく羽ばたき数多くの人々に愛される演奏を残した
本田竹廣さんです。私がジャズに目覚めた1970年代にはナベサダ、ヒノテルの
次に名前の出るメインストリーマーとして日本のジャズをエネルギッシュに引っ張って
くれていました。そして80年代にはアルトの峰厚介らと共にネイティブ・サンという
コンボで生気にあふれたフュージョンサウンドを堪能させていただきました。
いちど脳出血で倒れたあと奇跡のカムバックをされたとの報せを耳にしていましたが
力尽きてしまったのでしょうか。表題曲はトリオレコードのイーストウインドレーベル
の傑作盤に収められた「平和」を意味するトリオ演奏の大作です。


本田竹廣サラームサラームLPジャケット
本田竹廣「サラームサラーム」LPジャケット

VOL.408 * 2006/01/09


「20才になれば」 桜田淳子

たまたま成人式の会場の傍を車で通ったために色とりどりの新成人の姿を
目撃してしまいました。自分は行かなかったので断言はできませんが私らのころは
少なくとも男性の妙な羽織袴姿はほとんど無かったのじゃないかと思います。
ケバい化粧で若さを消してしまった振袖女性は以前から見ましたが、仮装行列と
見まがう格好の男たちは表情の幼さとのアンバランスもあり正直言って悲しくなります。
でもオジサンは希望を捨てません。熊本市でいえば成人式該当者8100人に対して
式に集まったのが約4500人とのこと。祭日にも働くサービス業従事者を始め
官製の式典よりも大切なことを選んだ若者たちに密かに期待したいと思います。
あなたがたに1978年の中島みゆき作詞作曲のナンバーを捧げましょうか。


VOL.407 * 2006/01/07


「下関駅を想う」

今日の起き抜けにJR下関駅炎上の報を聞き、驚いてTVの画面を見ると
まぎれもなく昔見た三角屋根が炎に包まれているところでした。ただもっと驚いたのは
午前2時過ぎに列車運行が止まったにもかかわらず足止めされた夜行列車はわずか二本
のみということでした。九州に入ってから分割される編成のため列車名としては「あかつき」
「なは」、「はやぶさ」「富士」の四本になりますが、それにしても夜行列車の需要がこんなに
減ってしまっていたとは。私もよく利用した「彗星」も前回の改正で消えてしまったのですね。
調べてみると、山陽新幹線完成直前の1974年には山陽本線だけでも一晩に特急26、
急行9という数の列車が下関へと下ってきていました。大学に入ったばかりのその年の
暮れに私は臨時夜行急行「壇の浦」の客車で早朝の下関に降り立ったと記憶します。
当時の関門鉄道の夜は膨大な数の列車の機関車つけかえのために、まさに
ごったがえしていましたが、若い鉄道マニアにとっては幻の黄金時代に見えるでしょうね。


VOL.406 * 2006/01/02


「平和省・平和隊」

新年の政治日程で自民党がまず実現したがっているのが、防衛庁の
「省」への昇格のようです。連立与党の公明党が抵抗的な姿勢でも、反対するための
有効な論拠に乏しい様子。私だったら「どうしても省にしたいんだったら平和省という
名称なら反対しませんよ。」「何か平和省では都合の悪いことでも有りますか?」
こんな風に言いたいですね。それに、憲法を変えて自衛隊を軍にするんだったら
せめて名称は「平和隊」ですよ、これだけは譲れません。「平和隊」じゃ格好悪くて
イヤだという隊員がいたら、外国の傭兵にでも転職していただきましょう。
調子に乗ったついでに小泉さんにも言っちゃいましょう。今年もどうしても参拝したいの
ならば神社の名前を「二度と戦争しません神社」に変えさせてから行ってください。




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