コラム

OYAJI NO UTA

by 安藤弘志

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オヤジのうた曲名リスト

VOL.324 * 2005/04/30


「ファイブスポットアフターダーク」 カーティス・フラー

私が本格的にジャズを聴き始め頃、すでに耳になじんでいたスマートなサウンド。
少し記憶が不確かですが、多分ジャズ評論家の故・油井正一氏がNHK-FMで
担当していた番組のテーマに使用していたと思います。「ウィスパー・ノット」など
ファンキー・ジャズの名曲を数多く作曲したテナー奏者ベニー・ゴルソンの作。
ファイブスポットは多くの歴史的名演でも知られるニューヨークのクラブの店名です。
夕方の太陽が沈んで、さあ今晩もいくぞっ…そんなわくわくするような気持ちが
一見地味なトロンボーンの低音サウンドからなぜか良く伝わってくるのです。


VOL.323 * 2005/04/29


「君よ走れ」 菖蒲芳則

以前は中央競馬のGT春の天皇賞は曜日に関係なく毎年4月29日に行われていました。
1977年の4月29日、東のハイセイコーに代わって現れた西のスターホースが
このレースで強い勝ち方をした日、地元の関西TVは夜の「競馬ダイジェスト」を
特別編成にして詩人の志摩直人が作った「テンポイント物語」のレコードをバックに
スターホースの生い立ちをVTRで冒頭に流し、天皇賞の実況録画へとつなぎました。
志摩氏は競馬中継のレギュラーでもあったのですが、ラジオでは虫明亜呂無
毎週ゲストだったり、関西では文学と競馬が織田作の昔から仲が良いのです。
表題曲はレコードのA面、杉本アナの名セリフ「見てくれこの脚(あし)」がモチーフです。



'77年度代表馬「テンポイント」記念の品
 

VOL.322 * 2005/04/28


「若葉のころ」 ビージーズ

1971年の映画「小さな恋のメロディ」は、封切り後まもなくボーズ頭に詰襟の制服で
観に行った記憶があります。考えてみればそれ以来、TV放映やレンタルで
出会う機会もないままです。それでもマーク・レスタートレーシー・ハイド
二人の姿が美しく撮られた映像と、全編に効果的に散りばめられた音楽は、
しっかりと覚えています。同い年の子達が遊んでいる頃、恋に落ちてしまった二人は、
昔あんなに大きかったクリスマスツリーが小さく見えるようになっても恋を育んでいる。
でも五月のはじめが来ると涙の別れがあるような、そんな予感もする。
若葉の頃(First of May)を人生の節目にたとえると、結構含蓄を持った歌ですよね。

 

VOL.321 * 2005/04/27


「私の家」 六文銭

及川恒平作詞、原茂作曲による1972年、六文銭の隠れたヒットナンバー。
新緑の季節が似合う昼下がりの閑静な住宅地を舞台に、ゆるやかで
伸びのあるメロディに乗って情景描写がひたすら続きます。
♪なだらかな 坂道を くるまがのぼって行く 坂のしたには 私の家がある…
オジサンも昔まねして歌ったのですが、生ギターの小指1弦で
メジャーセブンの音を強調するような伴奏と、高音部の声が気持ちよく出せれば
まずは成功。ただしサビ後に全音上に転調しても無理なく声が出るか
事前にチェックすることと、エンディングがだれないように気をつける必要があります。

 

VOL.320 * 2005/04/26


「マルタ島の砂」 ハーブ・アルパートとティファナブラス

1970年の四月、大阪万博でにぎわっていた日本のポップスチャートに
管楽器のインストナンバーが登場しました。メキシコのマリアッチに通じるような
明るさと哀愁の同居した独特のサウンドです。15歳だった私はこの曲でアルパートの名を
初めて知ったのですが、当時来日して人気沸騰のセルジオ・メンデスも60年代に
彼によって売り出されていました。なによりカーペンターズでも有名な
A&Mレコードの社名のAは彼の頭文字だったのです。さらに深夜放送の
「オールナイトニッポン」のテーマ曲、「ビタースウィート・サンバ」も彼らの演奏と知り
ただ者じゃないトランペッターのオジサンに俄然注目したのです。

 

VOL.319 * 2005/04/25


「こんな風に過ぎて行くのなら」 浅川マキ

1972年に浅川マキ自身の作詞作曲で世に出た曲です。
♪こんな風に過ぎて行くのなら いつかまた何処かで誰かに 出会うだろ…
テンポ良くストロークを刻むギターに乗って淡々と語るように歌われます。
四小節ずつのA-A’の形に前後をはさまれて、真ん中にサビが五小節入るという
変則的なつくり。なんとなく日常生活の中での平凡な繰り返しの部分と
少し心ときめく部分との割合にちょうど符合するような気がするのです。
二番のサビから引用−♪子供たちが 駆けてく道を なにげなく 振り返れば
長い長いわたしの影法師 そうよ今夜もやるせない夜の 幕があく…

 

VOL.318 * 2005/04/24


「浮気はやめた」 ナット・キング・コール

原題「エイント・ミスビヘイブン」、この曲は「ハニーサックル・ローズ」などでも
知られるファッツ・ウォーラーとアンディ・ラザーフのコンビの作。
1929年にニューヨークで作曲演出演奏がすべて黒人であることで話題をよんだ
レヴュー「コニーズ・ホット・チョコレート」のために書かれました。
ステージで演じたキャブ・キャロウェイと彼のバンドも好評を博しましたがのちに
ルイ・アームストロングが客演して歌ったり、もちろんウォーラー自身の盤もヒットして
スタンダードとなりました。テンポの良い明るい曲を、独自の解釈でスローバラード風に
弾き語りしたナット・キング・コールの演奏はなんとも心に沁みる名演です。

 

VOL.317 * 2005/04/23


捨ててはいけないよ大切なものを」  ピピ&コット

吉田拓郎と共に知名度をひろげたエレックレコードが1971年末の吉田の
ソニーへの移籍に伴い、新たな中心アーチストとして泉谷しげる古井戸など
頭角を現したばかりの新人を強力に売り出します。そのときの先陣をきったのが
この男女混成ユニット、ピピ&コットです。、メンバーのうち表題曲を作詞した佐藤公彦
すぐにケメの愛称でソロデビューし、アイドル的な売れ方をしますが、この曲では
紅一点の吉田佳子やリーダーの金谷厚と共にきれいなハーモニーを作っています。
♪胸から蜜がこぼれそうになったら そっと僕に教えて… 教えてあげる 蜜の甘さを。
高校生にとって何とも気になる幻想的な歌詞とメロディだったことが記憶に残っています。

 

VOL.316 * 2005/04/22


「デビル・イン・ハー・ハート」 ビートルズ

今日の1曲をあれこれ思い巡らせて、これっという曲が浮かばない時も
しばらくたってからビートルズの初期のナンバーが頭の中で自動演奏を
開始することが良くあります。今日はジョージのボーカルで決まりました。
調べてみるとこれはドネイズという女性グループの歌った「デビル・イン・ヒズ・ハート」
のカバーだったんですね。作者はリチャード・ドラプキンとなっています。
でも、コーラスの感覚といい、初々しい恋を歌った詞の内容といい
1963年当時の若いビートルズにぴたりとはまった抜群の出来だと思います。
♪ She's got the devil in her heart  No she's an angel sent to me



VOL.315 * 2005/04/21


「鈴懸の径(すずかけのみち)」 鈴木章治

戦時下の1942年に灰田勝彦が歌った明るいジャスソング。もちろん当時の
情況からしてジャズ色を極力抑えて地味に発表されたようですが、戦後に出た
鈴木章治とリズムエースの演奏で日本を代表するスイングナンバーとなりました。
鈴懸はプラタナスの和名で、立教大学前の街路樹をイメージして作られた
曲のようです。新緑の葉のつけ根に丸い花をつけ秋口には鈴のような
実を結ぶ優しい樹木にふさわしい華麗なメロディだと思います。
主旋律に対応するカウンターメロディを持つ構造で、クラリネットなど木管の
アンサンブルで演奏されるとしっとりとした味わいのある仕上がりとなります。

 

VOL.314 * 2005/04/20


「そよ風に乗って」 マージョリー・ノエル

1965年に日本のポップス界を賑わせたこの曲に対して、当時小学生の私が
抱いたイメージは、外人のおねーさんが空飛ぶジュウタンか何かに乗って
歌いながら飛んでいる光景です。たぶん名前から「魔女」の連想が無意識に
重なったのでしょうね。ネット検索の使えるオジサンになってようやく原曲の
意味を解った上で聞きなおせます。鉄道旅行に出た少女が同じ車輌に乗り合わせた
かっこいい男性をちらちら見ながら素敵な恋に落ちる物語を夢想する、
そんな内容だったのですね。「ウーウーウー」と繰り返すバックコーラスが汽笛を、
早いストロークのリズムを刻むギターが車輪の音を、しっかりと表現しています。

 

VOL.313 * 2005/04/19


「シャンソン」 早川義夫

高田渡を偲んで彼の作詞した1969年の異色作をとりあげます。
作曲と歌はジャックスを解散した直後の早川義夫。この人は後年
音楽業界を離れて本屋の主人になり、今は朝日新聞の書評欄などにコラムを
書いています。表題曲の入ったアルバム「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」
は、「サルビアの花」をご存知の方はわかるでしょうが単音の伴奏の上に
なんとも暗い独特な声が乗った異次元的な音で全編作られています。
「シャンソン」は美しいメロディラインがロンド形式を思わせるように重なったつくり。
♪ねぇ待ってくれるかい ねぇ僕の友達よ ねぇ待ってくれるかい 僕がシャンソン歌うまで

 

VOL.312 * 2005/04/18


幸せの黄色いリボン」 トニー・オーランド&ドーン

いわずとしれた1973年のビルボード年間トップ曲にして、今や百以上のカバーのある
二十世紀ポップカントリーの代表曲。77年には山田洋次監督がストーリーを
翻案して映画「幸福の黄色いハンカチ」を高倉健主演で製作しました。
原作の歌のほうでは、古い樫の木に遠くからでも目印になるように黄色いリボンを
結んでくれと出所する夫が妻に手紙を書くのですが、二番の歌詞ではリボンが
あるかどうか見るのが怖くなり、バスの運転手に事情を言って代わりに見てくれるように
頼みます。ストーリーの結末は二番も終わり、付け足されたルバートのフレーズで
最後の最後に明かされます。アメリカ人もこういうの大好きなんですよね。

 

VOL.311 * 2005/04/17


「鉱夫の祈り」 高田渡

高田渡が北海道で倒れてとうとう亡くなっちゃったらしい。いよいよ
日本フォークの第一世代が鬼籍に入る時期に突入したのでしょうか。
煙草とウイスキーの似合うデカダンスなスタイルから、こんなことがあるかも
知れないと予感してた気もするけど、寂しさはどうしようもありません。
北海道のライブで表題曲を歌ったかどうかわかりませんが、とりあえずは
この曲を思い出して偲びたいとおもいます。
♪凍りつく土の下で 鉱夫の汗は流され 凍りつく鉱夫の下に 石炭(いし)は眠りつづける
フィンガーピッキングのギターで淡々と語りかける渡さんの声が流れます。



VOL.310 * 2005/04/16


「孤  軍」 秋吉敏子

フィリピンのジャングルに潜んで二十余年の間、周囲はすべて敵軍と思って
まさに孤軍奮闘した元日本兵がいた事を今の若いモンはあまり知らないかもしれない。
1972年に洋服屋から徴兵された横井さん、74年に陸軍中野学校出身の小野田さん、
軍人としての行動規範にひたすら忠実に行動した二人の兵士が相次いで発見されました。
これに触発されて表題曲を作った秋吉敏子もまた、56年に日本人として初めて
バークレー音楽院の奨学生として本場のジャズの世界へ飛び込んだあと長い間
ある意味で孤軍の戦いを続けてビッグバンドのリーダーへと上り詰めました。
芸術性と心地よいスイング感が同時に実現された日本ジャズの傑作です。


VOL.309 * 2005/04/15


「ムード・インディゴ」 デューク・エリントン

インディゴというとジーンズの染料がまず思い浮かぶところですが、
ムードという言葉と合わさると一種微妙な気分や心の状態を表現します。
それは単なるブルーより深く重層的な憂鬱なのでしょうか。
1931年にエリントンが書いたバラードは今も、藍染めの古布のような色合いで
接する人の心をやさしく揺さぶるのです。ミュートされたトランペットがメインで
脇を固めるのもトロンボーン、クラリネット、ピアノ、ベース、バンジョーと、
普通のビッグバンドに較べるとシンプルでアンティークな構成です。
63年にチャールズ・ミンガスの残したこの曲の解釈も印象的でした。


VOL.308 * 2005/04/14


「誰もしらない」 伊東ゆかり

オジサンが四歳の頃に米軍キャンプ内で歌い始めていた伊東さんは、
1970年(私は15歳)にキングレコードからコロムビアレコードに移籍します。
当時の新興レーベル「デノン」でした。やはり日本コロムビア系の、
レコードプレイヤー関連に定評のあったオーディオ機器ブランドも同じくDENON
とつづりますがこちらは「デンオン」と呼ぶのはこれいかに。まあどうでも良いですが
表題曲は移籍後1年ほど経ってからのスマッシュヒットで71年の「紅白」でも歌っています。
作詞は岩谷時子、作曲が筒美京平、カンツォーネ風の調子良いテンポです。
♪身をこがす 朝焼けに そむきながら あてもなくただひとり 旅立つわたし


伊東ゆかり「誰も知らない」シングル盤
「誰も知らない」シングル盤ジャケット


VOL.307 * 2005/04/13


「マジック 」 ディック・セント・ニクラウス

シングル盤のライナーでもディックに関しては、1963年に「ルイ・ルイ」のヒットを
放ったキングスメンにドラマーとして在籍したことがあるとしか書かれていません。
キャリアの割にはパッとしなかったこの人の表題曲が79年頃から関西を中心に
じわじわと人気を広げ、やがて日本中で聞かれるようになります。
たぶん発売元のエピック・ソニーなどの営業戦略が功を奏した「マジック」だったのかも
知れません。また、この手の軽いAORを聴きたい気分の二三十代の音楽ファンの
ツボに嵌ったのでしょうね。確かに恋を確信したときの浮き立つような気分が
心地よい出だしです。♪Can't believe she loves me. No I can't believe she cares.


「マジック」 シングル盤画像
「マジック」 シングル盤ジャケット


VOL.306 * 2005/04/12


「戦争は知らない」 フォーク・クルセダーズ

♪野に咲く花の 名前はしらない だけど野に咲く 花が好き
寺山修司による詞はこんなきれいで平和な光景からはじまるのですが、
題名の通り戦争で父を失った娘が戦争をしらないまま大人に成るという
1960年代後半によくあったテーマの「反戦歌」です。私もギター覚えたての頃
よくマネして歌いましたが、時に感情移入しすぎて四番あたりでウルッと来たり
そんなこともありました。♪見ていてください はるかな父さん いわし雲とぶ空のした
いくさ知らずに はたちになって 嫁いで母に ははになるの。
解散コンサートのライブ盤では歌詞を間違えたまま収録されているのも愛嬌か。


VOL.305 * 2005/04/11


「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ」 ジョニー・ハートマン

ジョニー・ハートマンは1932年シカゴ生まれ。ビッグバンドの専属シンガーから
人気をあげてやがて歌手として独り立ち、63年にはジャズメッセンジャーズと共に
来日して日本でも知られました。そして帰国後すぐにジョン・コルトレーンのテナーと
出会って生まれたのがジャズヴォーカル史上屈指のこのアルバムです。
中でもひときわ心に沁みるのはロバート・メリンガイ・ウッドの共作によって
53年にフランク・シナトラが世に出した表題曲。コルトレーンのサックスが
シンガーと対峙して肉声と張り合うように歌うメロディはこの曲の魅力を最高に引き出します。
♪ The very thought of you makes my heart sing Like an April breeze...


VOL.304 * 2005/04/10


「春らんまん」 はっぴいえんど

♪むこうを行くのは おぅ 春じゃないか 薄情な目つきで しらん顔…
売れっ子作詞家になる前の松本隆が紡ぎ出す奇妙な世界。
URCというレコード会社はプロテストソングのみならず既存の音楽手法から
逸脱した様々な実験的アルバムをリリースしていましたが、表題曲を含むこの
「風街ろまん」はその中で最も成功した中の一枚です。ひらがな遣いのトレンドを
拓いたのみならず、ライナーノーツに記された丸文字も当時は珍しかったのです。
そしてアルバムの見開きに宮谷一彦の描く、都電が動く風景の細密画。
70年万博時代の流れに抗してのんびり動くスタンスに強いメッセージを感じました。


クリックで見開きの画像
「風街ろまん」アルバムジャケット

VOL.303 * 2005/04/09


「四月の想い出」 ブラウン=ローチ6

ジーン・デ・ポールパット・ジョンソンドン・レイ三人による1941年の作品。
16小節ずつのA-B-A形式で、Gのキーの中にGマイナーやB♭のラインが
交互にはさまれる重層的な構造感をもった躍動的なナンバーです。
この曲の最もエキサイティングな演奏はブラウン=ローチ・クインテットによる
ソニーロリンズを交えた演奏。「モア・スタディ・イン・ブラウン」という盤が
入手可能ですが、圧巻は1955年11月7日シカゴでのライブ(CD捜したが無い)。
20分以上にわたる演奏で、ロリンズとローチがブラウンのトランペットを煽り、
ブラウンが応えると触発されてメンバー全員が素晴らしいソロを続けます。


VOL.302 * 2005/04/08


「魅 惑」 西郷輝彦

ついこのあいだまで朝の連続ドラマで焼酎醸造元のおやじ役を演じていた
西郷輝彦さんは、1960年代には橋幸夫舟木一夫とともに歌謡曲の
若手御三家とも呼ばれた人気歌手でした。同じ鹿児島出身の高田みづえ
同様、演歌とは距離をおいた純歌謡曲あるいはポップス路線を歩みました。
ドラマの中で「こん、ガンタレがー」とつぶやくオヤジからは想像できないかも
知れませんが、もともとはウエスタンカーニバル世代の血統です。
表題曲は71年の曲で、阿久悠作詞川口真作曲のEマイナーのミディアムテンポ。
♪あなたはーこころに 罪のあまさをー 残してひとりで 帰るのですねー


VOL.301 * 2005/04/07


恋のほのお」 エジソンライトハウス

この手の音楽は再発CDを買って何度も聞くと確かに飽きます。
でも、例えば車の中でカーラジオからふいに流れてきたりすると
リフレーンをくちずさんで上機嫌になっている私がいます。
♪ Oh, but Love grows where my Rosemary goes and nobody knows like me.
そういえばローズマリーという名前は語感も良く、韻も踏みやすいので
ポピュラーソングにはよく出てきますね。この曲と同じリードボーカル、
トニー・マコーレイフライング・マシーンのグループ名でヒットさせた
笑ってローズマリーちゃん」そしてS&Gスカボローフェア」ではハーブの名として。


VOL.300 * 2005/04/06


「キアズマ」 山下洋輔トリオ

このコラム300回目の節目にちなみ日本最強のトリオをとりあげます。
早く正確なパッセージと「ヒジ打ち」を使い分けるピアノ、山下洋輔
ハスキーな音色とタコ踊りの興奮アルトサックス、坂田明
芸大打楽器科から転進したリズム司令塔のドラムス、森山威男
ヤマハの音楽雑誌などの情報で気にはなっていたのですが、ラジオのDJ番組で
かかる種類の音楽ではないのでなかなか全容は掴めずにいました。
大学で関西に出て初めて彼らの音に接し、心からぶっ飛び最大音量で叫んでいる私。
このカタルシスは、ある意味で文学的でさえあると興奮していました。


山下洋輔3 京都公演チラシ
山下洋輔トリオ コンサートチラシ


VOL.299 * 2005/04/05


「幸せはパリで」 ディオンヌ・ワーウィック

数あるバカラックナンバーの中でもベストファイブに入れたいと個人的に思う
1曲です。1969年の同名映画、ジャック・レモンカトリーヌ・ドヌーヴ主演の
素敵なラブ・コメディのテーマソングです。この時期ディオンヌは
バート・バカラック=ハル・デビッドのコンビ作品を次々とヒットさせていました。
「恋よさようなら」、「小さな願い」、「恋の面影」、そして映画「アルフィー」のテーマ。
どれも捨てがたいのですが表題曲は特に暖か味とウィットが聴く者をしんみりさせます。
♪ In an April dream Once she came to me
When you smiled I looked into your eyes and I knew
映画の主な舞台はニューヨークですがパリへのせつない夢が伝わってきます。


VOL.298 * 2005/04/04


「たどり着いたらいつも雨ふり」 モップス

鈴木ヒロミツ率いる異色のグループサウンズとして「朝まで待てない」などの
ヒットを放った全盛期は私も中学生で、モップスの詳しいことはあまり知らないのです。
時々深夜放送で断片的に聞く程度で、日本の実力派ニューロックバンドで
なおかつ「月光仮面」のようなコミカルも演じる不思議なグループという認識でした。
それが1972年になってアルバム「モップスと16人の仲間」から吉田拓郎作詞作曲の
表題曲がヒットすると、この曲が生活のいろんな場面に奇妙にフィットしてしまったのです。
あの頃のさほど勤勉でないフツーの学生が思いそうなことが、ぴったりのフレーズで
次々と表現されているので自然に口をついて出てくるのです。
♪いつものことでは あるけれど ああこのけだるさは…なんだ。


「モップス」コンサートちらし画像
「モップス」さよならコンサートのチラシ


VOL.297 * 2005/04/03


「リトル・ホンダ」 ビーチ・ボーイズ

陽気が良くなって気分がウキウキしてくるとオジサン達は思わず
こんな歌を口ずさんでいたりします。本田技研から発売されたリトルホンダは
今の電動自転車のモーターのかわりに4サイクルエンジンがついたタウンバイクで
ちゃんと自転車ペダルもついていました。実際ビーチボーイズがこのバイクに
乗っている写真を音楽雑誌で見たので曲名と商品名を結びつけて考えていましたが
良く調べてみると曲が先にアメリカでヒットしてホンダが逆輸入して商品名にしたようです。
♪First gear, it's alright. Second gear, I lean right. と掛け合うくだりと違って実物の
バイクの方はイージーな無段変速でした。いずれにしても春らしいノーテンキな名曲です。


VOL.296 * 2005/04/02


「たんぽぽ」 ガ ロ

1971年の暮れにデノンレコードのマッシュ・レーベルというところから
彼らのデビューアルバムは世に出ました。高校の友達の中には、
早速気に入ってレコードを買った者もいたのですが、私らは冷ややかでは
ないものの横目で見ているだけでした。当時の資料を調べてみると
この頃までのガロはソフトロックとは言われながらも、どこか早川義夫
ジャックスに通じる心の奥をゆさぶるような先鋭的な音世界を表現していたようです。
メジャーのコロムビア系のレコード会社、マーク、ボーカル、フトシという愛称、
そして「学生街の喫茶店」へとアイドル化していくのですが、この曲はやっぱり悪くない。


VOL.295 * 2005/04/01


「スプリング・イズ・ヒア」 キャロル・スローン

ロジャーズ=ハートによる1938年同名のミュージカルからのスタンダード。
ジャズファンにとっては何といってもビル・エヴァンスの演奏でおなじみですし、
ボーカルではフランク・シナトラクリス・コナーの唄も悪くありません。
私が好きなのはウェストコーストスタイルの女性シンガー、キャロル・スローンのもの。
こんなに侘しい春の歌ってあるのかいと思うほどで、そこが何ともいいのです。
詩人のTSエリオットが、四月はもっとも残酷な月で…と歌ったのを思い出させるような
詞の内容。特にヴァースの最後がすごい。♪Now April, May, and June are
sadly out of tune, Life has stuck a pin in the balloon.



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