コラム

OYAJI NO UTA

by 安藤弘志

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オヤジのうた曲名リスト

VOL.020 * 2004/06/30


青い瞳」 ブルーコメッツ

昨日紹介のビートルズ来日公演オープニングの「ロックンロール・ミュージック」は、
調べてみると前年のNHK紅白歌合戦でザ・ピーナッツが歌っています。
そのときのバックバンドをつとめたのがジャッキー吉川とブルーコメッツで
彼らは翌66年の紅白で初の正式出場をして青い瞳を歌い上げます。
ブルー・コメットというグループ名からも当時スプートニクスなどの宇宙サウンドの
影響も受けていたことがうかがわれます。彼等や加山雄三ヴィレッジシンガーズ
などはアイビースタイルの服装、髪型が多かったため、”ビートルズ的外観”の
ほかのGSに較べるとNHK出演の機会が明らかに多かったです。



VOL.019 * 2004/06/29


「ペイパーバックライター」 ビートルズ

1966年の今日、ビートルズがグループとして最初で最後の
日本公演を果たすため羽田空港に降り立ちました。
この年も6月にはめずらしく台風が直撃したあとでした。
11歳だった私の記憶の断片。日航のDC-8からJALハッピを着て降りる4人。
ヒルトンホテルのデコボコの壁の前での記者会見。
武道館での公演のチケットは日テレとライオン歯磨による抽選だったような。
白黒TVで見た公演1曲目は「ロックンロールミュージック」、
シングルリリース直後の表題曲は練習不足か、コーラスが少し乱れていました。




BEATLES日本公演写真使用のシングル盤ジャケット
BEATLES日本公演写真使用のシングル盤ジャケット

VOL.018 * 2004/06/28


「ひとりぼっちのシンフォニー」 ザ・シュープリームス

モータウンを代表する女声グループ、ダイアナロスとシュープリームスの
黄金時代といえば1965年頃でしょうか。当時私は10歳になったばかりの少年
だったのですが、マージョリー・ノエルの「そよ風に乗って」とか
レン・バリー
「ワンツースリー」など生意気に口ずさめるようになっていました。
そして、特に好きだったのがこの曲なのです。
空き地の草野球で外野を守りながら、わけもわからずに
「ベイベン べイベン アイヒアラシンフォニ」などとつぶやくのでした。


 

VOL.017 * 2004/06/27


「海はきらいさ」 
はしだのりひことシューベルツ

前日書いた、帰省のカーフェリーで口ずさんだ曲としてもうひとつ
思い出しました。三拍子の自然な旋律から始まり
「きみは遠いくにの…」で半音下がり、「海はきらいさーかなーしくーなる」
のところでG-B-C-D7の変則的なコード進行が心地よいです。
フォーククルセダーズ時代から変わらぬ端田宣彦流発声法を私も真似して、
頭のてっぺんから裏声でなく声を出すような歌い方を試みたこともあります。
「波のあとに沿って旅を行く、潮鳴りの声が想い出を消す」詞は北山修


 

VOL.016 * 2004/06/26


「ウェイブ」 シンガーズアンリミテド

この曲はいわずと知れたアントニオ・カルロス・ジョビンの名曲ですが、
私が初めて知ったのは1973年に出たこの演奏によってです。
アカペラも得意な混声コーラスグループですが、
オスカー・ピーターソンやこのアルバムのアート・ヴァンダムといった
センスの良い器楽奏者との組み合わせで音のふくらみが贅沢に発揮されます。
大学のある関西から九州へ帰省するとき、安上がりなのでよくカーフェリーに徒歩で
乗船しました。プロムナードデッキで海を眺めながら頭の中に流した曲です。
      アルバム名「インヴィテーション」MPS


 

VOL.015 * 2004/06/25


「男の子・女の娘」 吉田拓郎/中沢厚子

高校に入って間も無くこの曲の入った青春の詩(うた)というLPを聴きました。
自分達の手の届く音楽のやりかたでこんなにもワクワクする世界が
造れるということはものすごい発見でした。
吉田拓郎のソングライターとしての才能もさることながら
バックバンドやコーラスを組織、アレンジするプロデュース能力への驚きです。
「男の子・女の娘」は無邪気な少年とやさしく見守る少女のかけあい。
この曲で初々しい女の娘の声でデュエットした中沢厚子さん、
この6月に30年ぶりにライブに出たという話も聞きました。


 

VOL.014 * 2004/06/24


「星を求めて」 ビリー・ヴォーン楽団

小さいながらも2チャンネルで音のでるステレオ再生装置(レシーバー)が
我が家に入ったのは1965年前後のことだったでしょうか。
その頃たぶんNHK-FMの本放送が地方でも始まったのだと思います。
そこでの夜のイージーリスニング番組の主題歌がこの曲でした。
ビリーボーンは「真珠貝の歌」も好きでしたが、それを上回る美しい
メロディと豪華さを持った曲だと子供心に思いました。
原題はLOOK FOR A STAR、もとは1960年の映画「恐怖のサーカス」
のテーマ音楽でしたが、映画はヒットしなかったようです。



「星を求めて」ビリーヴォーン シングル盤画像
「星を求めて」ビリーヴォーン シングル盤

VOL.013 * 2004/06/23


約 束」 宮川泰

この欄いつも、「曲名」演奏者 という形のクレジットですが
今回は、「映画の題名」音楽担当者 という取合せです。
宮川氏はザ・ピーナッツクレージーキャッツの頃から、ステージ101、
宇宙戦艦ヤマト、カリキュラマシーンに至るまで多くの音楽監督を手掛け
今なお健在なのは嬉しい限りです。
1972年の松竹映画「約束」(斎藤耕一監督)で印象的なのは、
日本海沿いを走る列車の重い風景や、岸惠子と萩原健一の
バックに流れる、なんともせつないこの音楽でした。


 

VOL.012 * 2004/06/22


「いつか王子様が」 
マイルス・デイビス

大学に入り京都の郊外に暮らし始めて間もない頃。
梅雨どきの、とある午後。アパートの2階でぼんやりFMラジオを聞いていました。
詳細は覚えていないのですが、この曲を聴いて不覚にも
涙を流したと日記風のメモに残っています。
マイルスの吹くミュートサウンドを受けてウイントン・ケリー
ポール・チェンバースのソロが続くあたりで
どうも、こらえきれなくなったようです。若いモンには有りがちな事です。


 

VOL.011 * 2004/06/21


「愛すれど悲し」 南沙織

1978年に南沙織がソニーから出したSIMPLECITYというアルバムは、
筒美京平の作品と、洋楽の英語カバー曲とで構成された傑作です。
中でも泣かせるのがこのHopelessly Devoted To You、
「愛すれど悲し」です。私はなんとなくリンダ・ロンシュタットの曲と
勘違いしたままずっと居たのですが、今回しらべてみて
オリビア・ニュートン・ジョンが映画「グリース」で歌った曲とわかりました。
個人的には南沙織の円熟期のひとつの頂点だった気もします。


 

VOL.010 * 2004/06/20


「恋のひとこと」 フランク・シナトラ

竹内まりや最新アルバム大瀧詠一と再現した録音によって
この曲の知名度が一躍回復しまして恐悦至極でございます。
本来ならわたくしごときが再アピールしなくてもいいのですが、
なにしろほら、本日が父の日ということでおとっつぁんの名前で出させて下さい。
ナンシー・シナトラは中学時代のフェイバレットだったので
あらためて登場して頂きますが、この曲が今に思えば
娘が親離れする頃合だったのかも知れません。同時期のデュエットソングで
リー・ヘイゼルウッドとの「サマーワイン」を聞き比べるとそんな気が。


 

VOL.009 * 2004/06/19


「海の底でうたう唄」 モコ・ビーバー・オリーブ

1970年の大阪万博直前の時代、九州の地方都市で
中学生をやっていた私にとって、AMラジオの深夜放送は
まさに異次元への接点でした。特にJOLFニッポン放送で
パンチ・パンチ・パンチ →ハマクラ夜の唄 →オールナイトニッポン
と続くゴールデンアワーの最初に出て来るのが
高橋基子川口まさみシリアポールの3人のお姉さま達で、
雑誌の平凡パンチ同様、大人の世界を垣間見せてくれる存在でした。
ところで「唄」という字はあの頃のほうがよく使ってましたね。


 

VOL.008 * 2004/06/18


「サンホセへの道」 ボサ・リオ

中学時代、地元のラジオ局が毎週やっていたベストテン番組で
クイズに応募したら、レコード引換え券が当たったのです。
あの頃17cmシングルレコード1枚が400円位だったでしょうか。
喜んでレコード屋に行き、選んだのがこの曲だったのです。
当時売り出しのバートバカラックによるしゃれたメロディを
セルジオメンデスの弟分的な若いグループが演奏。
のちにカーペンターズを売り出す前のA&Mレーベルの一枚です。

 

サンホセへの道」ボサリオ シングル盤画像
サンホセへの道」ボサリオ シングル盤

VOL.007 * 2004/06/17


「にぎわい」 浅川マキ

今田勝、稲葉国光つのだひろなどの重厚なリズム隊をバックにした
浅川マキのライブ盤が出たのは1973年頃だったでしょうか。
ロッド・スチュアートの「古いレインコート」「ガソリンアレイ」を含む
このアルバムの資料もWEB上にあまり無いけれど、浅川の詞に
かまやつひろしの曲という組合わせの「にぎわい」は
埋もれてしまうには余りに惜しい作品です。
リフレーンは・・・ 思い出さずには居られなかった。
ちょうどこの港がにぎわってた あの頃のことを。


 

VOL.006 * 2004/06/16


「愛なき世界」 ピーター&ゴードン

ビートルズのレノン=マッカートニーが彼らのために書いてヒットした
オールディーズ1964年の部、定番の1曲といえるでしょう。
詞のシチュエーションはスキーターデイビスの The End of the World に似ていますが
愛なき世界には生きられないとすねた後、サビの部分で
いつかあの娘は戻って微笑んでくれると希望を捨てないところがいじらしい。
出だしのコード進行がおいしいので私のような固定客があちこちに居るらしく
40年間にわたって時々は耳にします。若い日にラーメン屋で聴いたことを
思い出しましたが、日本人ならではの幸福な瞬間ですよね。


 

VOL.005 * 2004/06/15


「家をつくるなら」 加藤和彦

松たか子がピアノを前に口ずさむパナホームのCFは、
皆様ご存知でしょう。オジサン達は1971年に作曲者みずからが歌った
初代CFも覚えているのです。今、家を建てる世代に対して
子どもの頃に聞き覚えたイメージソングを効果的に用いている訳です。
この曲はパナホーム(当時はナショナル住宅)の立派な無形資産といえますね。
同じく松山猛の作詞とのコンビでは「ふしぎな日」という曲もおすすめ。
 

 

 

VOL.004 * 2004/06/14


「恋はフィーリング」 ピケティ・ウィッチ

インターネットのお陰で幻の曲がよみがえったりします。
頭の隅に引っ掛かっていた断片で検索したら出てきました。
1970年ごろの英国ソフトロックグループで、原題 That Same Old Feeling.
いわゆるスマッシュヒットでしたが、その後数十年ラジオでも耳にする機会が
無く、それでいてシンプルなメロディーと心地良いコーラスだったことは
忘れないでいました。さらに嬉しいことに当時日本で赤い鳥
カバー(ハイファイセット時代になってからのフィーリングという曲は別)
したバージョンも全集で復刻されているようです。


 


VOL.003 * 2004/06/13


「涙の日曜日」 堺正章・ザ・スパイダース

雨の降る日曜日に窓の外の濡れた景色をながめて
物想いにふけったりしてますか−と若いモンに聞いてみたい。
別にそれで世の中のために成る訳じゃないけど、
人生の一過程としてオジサン達はそういう手続きも踏んできた。
たぶん今のJ-POPの中にも、こんなセンチメンタル歌謡曲の
系譜につながる楽曲ってあるんでしょうね。
同じシチュエーションの曲で佐良直美「ギターのような女の子」もイイ。


 

VOL.002 * 2004/06/12


「ホワッドアイセイ」 レイ・チャールズ

オジサンノウタ2日目にしてレイチャールズが死んじゃった。
私にとっては五代目柳家小さん以来の訃報だ。
小学生だった私にとって大映の座頭市(勝新太郎)と並ぶカッコイイおじさんだった。
アイキャンストッ ラービンユウ とか、
モーノーモーノーモーノーモー ヒッザロージャックとか。
しゃれたリズムと旋律が私ら世代には染みこんでいます、ちなみに
What'd I say を「わっちゃいせい」と表記したのは吉田拓郎です。


「ホワッドアイセイ」レイ・チャールズ シングル盤画像
「ホワッドアイセイ」レイ・チャールズ
「それから」六文銭 シングル盤画像
「それから」六文銭 シングル盤

 

VOL.001 * 2004/06/11


「それから」 六文銭

1969年にフォークデュオ ブレッドアンドバターによる曲を
小室等の率いるアコースティックバンド 六文銭がレコーディングしています。
最初のコードの根音からメジャーセブン、セブンスと半音ずつ降りて行く
伴奏に乗って美しくも不思議なフレーズが歌い上げられます。
「それから、 激しさは、 おとといに、 向かって 逃げていった」
というシュールな歌詞は当時の先鋭的な楽曲の向かったひとつの傾向かも
知れません。西岡たかし早川義夫にも同様の世界が感じられました。



Mail to:
handon@rs-kumamoto.com

 

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