コラム

OYAJI NO UTA

by 安藤弘志

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オヤジのうた曲名リスト

VOL.082 * 2004/08/31


「自由への賛歌」 オスカー・ピーターソン

着実な構成力に定評の有るジャスピアニスト、O・ピーターソンの初期のオリジナル曲。
けっして自由(フリーダム)への戦いではなく賛歌あるいは賛美歌であることに注意。
美しく下降するコード進行が繰り返しの中でしだいにフェイクされ
感動的な盛り上がりへと聴く者を誘います。小品ですが名曲といえるでしょう。
私が初めてこの曲の存在を知ったのは1972年頃の今田勝トリオによる演奏です。
のちに自らも数々の美しいオリジナル曲を手がける今田氏はまた、
既存の曲を演じるときも選曲のセンスが光っていました。


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VOL.081 * 2004/08/30


燃える秋」 ハイファイセット

1978年の今頃、三越百貨店各店の開店前にはこの曲が毎日流されていました。
当時のワンマン社長の意向だったのでしょうか、東宝とタイアップして
文芸大作映画を企画することになり封切り数ヶ月前から盛り上げが始まっていたのです。
結果的に映画は小ヒットに終わりましたが、私にとっては好みの一本です。
原作は五木寛之の日本とイランを舞台にしたサスペンスロマン、
監督は小林正樹、主演は真野響子、そして音楽が武満徹という豪華版です。
メインヴォーカルの山本潤子の澄んだ声が映画と曲にぴったりマッチしています。


 

VOL.080 * 2004/08/29


「火の鳥」 マハビシュヌオーケストラ

高校時代、放送部に所属していたお陰で視聴覚教室に設置されていた
当時はやりの4チャンネルステレオ再生装置を比較的自由に使用できていました。
そのせいか部員の中には大音量再生にふさわしいロックすなわち、
イエス、ユーライアヒープ、ピンクフロイドなどプログレッシブなユニットのLPを
持ち込む者が多く、発声練習など正規の部活動そっちのけで臨時試聴会が開催されました。
そんな中でジョン・マクラフリン率いるマハビシュヌオーケストラは
カルロス・サンタナマイルス・デイビスの真ん中あたりをすさまじい音量で
駆け抜けていったというイメージで、いまだにあれは何だったという気もします。


 

VOL.079 * 2004/08/28


「君のスープを」 加山雄三

昨日の「農園天国」に関して1967年の日曜日TV番組表を調べていて、
その後まったく聞く機会がないけれども不思議と覚えている曲を思いつきました。
TBS系の日曜夜、渥美清の「泣いてたまるか」と「東芝日曜劇場」にはさまれた
9時からの30分番組で「愛妻くん」というオムニバスドラマ。加山雄三の表題曲が
この番組のテーマ曲だったのではないかと思うのですがWEB検索では
ウラが取れませんでした。しかし岩谷時子作の歌詞がこの時代の「愛妻」を
絵に描いたような内容だったので多分間違いないでしょう。
「毎朝 僕にだけ あのおいしいスープを」どんな味だろうと子供心に考えていました。


 

VOL.078 * 2004/08/27


「グリーン・エーカーズ」 CBS-TV

アテネオリンピックの野球会場のオルガンがことあるごとに流したフレーズ、
わたしら以上の年代の者でTVコメディ「農園天国」を思い出した人も多いでしょう。
「ニューヨークなんか なんのその ああ緑の農園へ 憧れのグリーンエーカーズ」
エディー・アルバートが朗々と歌い上げるテーマ曲の一部が約40年の歳月を経て
こんなところにも生き延びていました。日本ではNHKが日曜の午後1時から放映。
当時小学生の私が覚えているのは、主人公の若い女房の唯一の得意料理が
グリル板いっぱいに生地を流して丸く型抜きするパンケーキ。亭主の車が故障したとき、
なんとそのパンケーキの抜きあとがガスケット代りになって修理出来てしまったのです。


 

VOL.077 * 2004/08/26


「風の日のバラード」 渚ゆう子

1972年の筒美京平作曲による純歌謡曲。いきなりメジャーセブンスコードで
「ひとり歩く 風の街」と始まる出だしがうっとりさせられます。さらに
サビの「こ*ころ*の すきまから あ*なた*の 思い出が か*なし*く …」と
八分休符+半音上げの臨時記号の組み合わせ(*印)がたたみかけるように
繰り返され、せつないけだるさとでも表現したい雰囲気です。
渚ゆう子が話題に上る場合たいてい「京都の恋」などベンチャーズもの
共に語られることが多いようですが、こんな名曲も忘れないで欲しい。


「京都の恋」渚ゆう子 シングル盤画像
「京都の恋」渚ゆう子 シングル盤

 

VOL.076 * 2004/08/25


「エブリー・リトル・シング」 ビートルズ

ちょっとクセのあるメロディだけに、わけもなく頭のなかに甦ってきたりします。
サビの Ev'ry little thing she does, she does for me year
のコーラスが東洋風な独特の響きだなと、小学生のときから感じています。
1960年代のビートルズのシングルセールNo.1「ロックンロールミュージック」
のB面の曲ですが、ラジオのオンエア頻度などは決して多くありません。
もとになったアルバム「ビートルズ フォーセール」はこの他にも
「ノー・リプライ」「アイル・フォロー・ザ・サン」といった珠玉の旋律を含みます。


 

VOL.075 * 2004/08/24


「夕 月」 黛ジュン

1968年当時小学生だった私にとって記憶は鮮明ではありませんが、
ポップス調のヒットを続けたあとに出た和風の曲で印象に残っています。
ただし和風といっても演歌とは少し距離を置いた純歌謡曲と呼びたいジャンル。
成人してのち私にとってはビールのつまみになくてはならないジャンルです。
記憶に残っている理由が、もうひとつ。あのころ住んでいた地方都市と
大阪を結ぶ、国鉄の寝台急行列車の名称が「夕月」だったのです。
ディーゼル機関車の牽く地味な客車寝台にぴったりなネーミングだったと今でも思います。


 

VOL.074 * 2004/08/23


ノー・モア・ブルース」 スタン・ゲッツ

ラップだなんだとほざく若いモンに声を大にして言いたい。USAからちょっと
眼を南へ移してメロディの有る音楽を聴いてみたのかと。
あれもこれもとは云いません。タンゴならピアソラ、ボサノバならジョビン
それだけで何か感じるでしょう。かの国にはなかった豊かでダイナミックな旋律を。
アントニオ・カルロス・ジョビン作曲でジャズサックス奏者スタン・ゲッツの演ずる
「ノー・モア・ブルース」は学生時代にFM大阪の交通情報のBGMが
気になって探し当てました。曲の真ん中で短調から長調へ転調してがらっと
雰囲気を変えながらも、絶妙なまとまりを見せるなんとも不思議な一曲です。


 

VOL.073 * 2004/08/22


「一本道」 友部正人

ヒートアイランドという言葉が出回るずっと前、1970年代すでに
大都市の残暑は過酷でした。ひと夏熱せられたコンクリートのせいだと
無意識に感じながら疲れた足を引きずって地下道へ逃げ込んだりしていました。
詩人金子光晴に傾倒したシンガー、友部正人は、そんな街で
ふと後ろを振り返り、夕焼けを見て歌を作りました。リフレーンの節目でG-Gsus4-G と
伸び縮みするギターの音が若者の疲労感の象徴のように響きます。
2番の詞はさらに秀逸。「悲しい毒は はるかな海を染め 今日も一日が終わろうとしています
しんせい一箱ぶんの一日を 指でひねってゴミ箱の中」


 


VOL.072 * 2004/08/21


「マサチューセッツ」 ビージーズ

そろそろ、しっとりした曲の似合う季節の気配もあって選びました。
ビージーズの「ステインアライブ」がフィーバーした時には、
私は大卒プータローのバイト帰りに宗右衛門町のディスコでヘタな踊りをまねしたり
してましたが、同じビージーズの表題曲がヒットした頃はまだ中学生だったのです。
メロディがきれいだったので覚えましたが歌詞の意味など頓着していませんでした。
And the lights all went out in Massachusetts 今になって読み直してみると
何かを求めて故郷を出たときに、いったん故郷の灯は消えるのでしょう。
子供の自分を包んでくれた故郷はone place I have seenへといつの間にか変質します。


 

VOL.071 * 2004/08/20


「ポスターカラー」 古井戸

そろそろオリンピックにうんざりの今日この頃、特にNHKで流れる「栄光の架橋」
という曲が耳についてしまって困っています。べつに歌っているゆずに罪は無いのですが。
調べてみるとゆずの北川は1977年生まれで20歳位でデビュー、現在27歳。
オヤジ世代のアコースティック・フォークデュオの古井戸のメンバー仲井戸麗市は
1950年生まれで21歳でクループとしての最盛期を迎え、30前に解散
RCサクセションへの転籍という道をたどっています。ゆずに共通する生活臭のある
表題曲のサビの部分「紅茶にしますか、ミルクはどーーしますか」と叫ぶ声の
厚みの部分が根源的に違うと感じるのは、世代の贔屓か、時代のせいか?


新譜ジャーナル別冊「古井戸の世界」画像
1973新譜ジャーナル別冊「古井戸の世界」自由国民社
 

VOL.070 * 2004/08/19


「ワイト・イズ・ワイト」 ミッシェル・デルペッシュ

「ウッドストック」の欧州版として英国ワイト島というところで野外フェスティバル
が開かれ15万からの人が集まったのは1970年の夏でした。
すかさず日本でも発売されヒットした”大会テーマ曲”がこれです。
ワイト・イズ・ワイト ディラン・イズ・ディラン ワイト・イズ・ワイト ビバ・ドノヴァン
中学生でも覚えられた歌い出しの人名はもちろん、ボブ・ディランドノヴァンという
フェスティバルの目玉となる2大スターの名でした。
ロックというよりもミッシェル・ポルナレフばりのフレンチ・ポップスに近い
メロディアスなナンバーで、日本の赤い鳥もカバーしました。


 

VOL.069 * 2004/08/18


「北山杉」 梅まつり

大学時代の帰省の楽しみといえば実家の食事での動物蛋白の補充と、
高校時代の仲間との夜遊びでした。ある夏の夜男女6、7人つどって
1人の女の娘の家の2階で宴会が盛り上がりそのまま雑魚寝の朝を
迎えてしまいました。ちょうどその部屋はオーディオルームになっていて
朝の7時半ごろお父様が上がってこられて我々を高音質ハイファイサウンドで
目覚めさせるべくこの曲を流してくださったのです。澄んだメロディが
寝ぼけ頭に沁み込みましたが、あの時のお父様の気持ちを今になって
思えば申し訳ないやら、有難いやら複雑な気分です。


 

VOL.068 * 2004/08/17


「プレリュード in Em」 ジェリー・マリガン

クールなジャズを1曲入れたいと思いついたのがこれです。
今は亡きジャズ評論家油井正一氏のFM東京系の番組「アスペクトインジャズ」の
テーマ音楽としてオジサン達の世代には頭に染み付いているクールな曲です。
原曲となるショパンの前奏曲集は長調・単調の全キー各12曲ずつの小品集で
「太田胃散」のCMでおなじみのあの曲なんかも入っているものです。
その中でホ短調を選曲したのも趣味が良く、そして見事にウエストコーストジャズ
の味付けで深い味わいを出しています。映画「ファイブ・イージー・ピーセス」の中で
ジャック・ニコルソンが古いピアノで弾いたシーンも思い出します。


 

VOL.067 * 2004/08/16


「夏まつり」 井上陽水

私が高校に入った頃に、「次々と」という感じで吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水
が世に出たのですが井上は比較的年長で、マイナーじゃないポリドールという
レコード会社だったせいもあり当時のアングラフォークとは距離を置いた存在でした。
ただ、既存の歌謡曲作家には書けない視点から人生の様々な局面を次々と
描き出すかたちで「断絶」「センチメンタル」と2作のアルバムが眼の前に提示されました。
それは、私ら若いモンにとってはかなりの衝撃で、文化祭のあちこちのステージで
井上陽水のコピーが氾濫する結果ともなりました。30年経ったいま、
表題曲の中で旧家のハレの日が歌われているように、あの頃を想ったりもします。


 

VOL.066 * 2004/08/15


「レイ・ダウン」 メラニー

1970年にヒットしたウッドストックがらみの曲たちの一つ。演奏者名、正確には
メラニーとエドウィンホーキンスシンガーズによるものです。
簡単に説明しようとすれば、ゴスペル調のトーチソング・反戦歌ということになりますが、
戦争は悪だと認めながらも戦争の準備は大好きな人々に対して、
振り上げたこぶしや武器を Lay Down しなさいとストレートに訴えかけています。
メラニーという歌手はソロで歌うときはどちらかといえば山崎ハコ的な
しっとりフォーク系の歌が得意で「ルビー・チューズデイ」や
「傷ついた小鳥」などの曲が記憶に残っています。


「傷ついた小鳥」メラニー シングル盤画像
「傷ついた小鳥」メラニー シングル盤
 


VOL.065 * 2004/08/14


「さとうきび畑」 寺島尚彦

森山良子の熱唱で知られる「さとうきび畑」が1969年に世に出た時のこと。
当時NHKのクイズ番組「シャープさんフラットさん」を昼の放映時に視ていたら、
突然この曲が問題として出されたのですが出場者は誰も曲名を答えられませんでした。
番組専属バンドのリーダー寺島尚彦氏が沖縄で作ってきた曲だと、司会の尾島アナ
が説明しましたので、知らなくともしょうがないかと思った記憶があります。
しばらく経って森山良子のアルバム「カレッジ・フォークNo.2」を偶然買ったらこの曲と再会しました。
9分を超えるドラマチックな歌は横で聞いていた母も「涙が出そうになる」とつぶやいた程でした。
寺島氏亡き後21世紀にこの曲が広まるとは、予想できませんでした。


 

VOL.064 * 2004/08/13


「アイ・シャル・ビー・リリースト」 ボブ・ディラン

吉田拓郎の得意だったシンプルだけどやたら十何番も歌詞が続くメッセージソングは、
もちろんボブ・ディランの影響を受けたものでしょう。そしてディランがいちばん
輝いていた頃の一曲は、私にとってはやはりこの I Shall Be Released です。
こちらを日本で広く紹介したのは大塚まさじ率いるディランU(セカンド)でした。
(邦題:男らしいってわかるかい)「変わっていくなんてきっとないよ、俺の世界なんて程遠いよ
でも俺をこんなに変えてくれた昔の友がいるんだ」今聴いて彼らの顔を思い浮かべて
あんた達が昔の友だったんだねと納得する。そして小声で唄います。
Any day now, any day now,  I shall be released.


 

VOL.063 * 2004/08/12


「おろかなるひとりごと」 吉田拓郎

吉田拓郎初期の、エレックレコードから出たライブ盤「ともだち」というアルバムは
CDの再発も無いせいか歴史に埋もれかけている懸念も感じます。
新宿厚生年金会館小ホールでミニバンド(ベースとリードエレキだったか)
をしたがえての歌としゃべりなのですが、のちの泉谷しげるライブにも共通する
新しい流れの草創期を感じさせるなごやかな雰囲気でした。
表題曲はスリーコードだけの簡易なつくりですが「丘をのぼって下界を見ると」で始まり
3行目の歌詞が「人はあくせくどこへ行く」「人は彼らの思うまま」「人は命の絶えるまで」
と揶揄する一方、「俺は生まれてこの日まで俺の道しか見ていない」と言い放ちます。
                         *「ともだち」は2005年12月に再発されました


 

VOL.062 * 2004/08/11


「いとしのセシリア」 サイモン&ガーファンクル

1967年の映画「卒業」の挿入曲のヒットの後あまり目立たなかったS&Gが
70年に突如放った歴史的名盤「明日に架ける橋」の出現に立ち会ったのは中学生の頃でした。
シングルカットの発売とトップテン入りはアルバムの曲順に3曲続きました。
最初の「明日に架ける橋」はドラマチックなヒーロー物語のイメージ、
二曲目の「コンドルは飛んで行く」は大自然とのどかな風景を想わせ、
三曲目の表題曲が最も親しみやすい等身大の仲間との交流の感覚です。
三曲目のリリースは夏。学校の宿泊学習の寝床で隠れて聞いた
携帯ラジオのイアホンから流れたことを思い出します。


 

VOL.061 * 2004/08/10


「一人ぼっちの旅」 はしだのりひこ&シューベルツ

おじさんの物心ついた頃にNHKの「みんなのうた」が始まりました。
草創期の白黒画面による「線路は続くよ…」だの「おお牧場は緑」も覚えています。
そして、ギターを手に入れて自分で自分に合った音楽を探しだした頃(1971?)
表題曲が「みんなのうた」で放送されました。詞:久仁比呂志、曲:端田宣彦。
「一人ぼっちの旅に出た 風がむこうで騒ぐから」という出だしで時計台や
高原の風景をバックにはしだの独特の声が響いてなんともせつなかった記憶です。
考えてみればこの曲を出口としてひとつ外の音楽世界へ誘われた
そんな要素も多分にあります。


 

VOL.060 * 2004/08/09


「ブルー・モンク」 セロニアス・モンク

夏の音楽フェスティバルの元祖はなんといってもニューポートジャズフェスティバル。
1959年に撮られた映画「真夏の夜のジャズ」は広く知られていますが、
私にとってはジャズの聴き始めの頃に入手した1963年の同フェスティバルからの
マイルス&モンク・アットニューポート」が特に印象的です。
訥弁なピアニスト、セロニアス・モンクの表題曲はシンプルだけど不思議な
ハーモニーを持つモチーフが魅力。そして飛び入り的に競演している
ベテランクラリネット奏者、ピー・ウィー・ラッセルの音色がなんだか懐かしい。


セロニアスモンク17cmLP画像
セロニアスモンク 17cmLP CBSソニー
 

VOL.059 * 2004/08/08


「街行き村行き」 西岡恭蔵

学生時代に居た関西は当時、野外コンサート花盛りの時代で
祇園の「宵々山コンサート」、琵琶湖の「8・8ロックデイ」はじめ
多々ありましたが夏場はバイトと帰省でなかなか参加できませんでした。
私がナマで見た野外の記憶でまず思いつくのは天王寺野外音楽堂の
春一番コンサート」での表題曲です。大阪の街の空気を独自の色に
染めてしまうような不思議な力を持った音楽でした。
「水平むすびにあの街この村」で始まる歌詞は「ナプキン海図」
「船長募集の街角」「明日あたりはきっと海行き」と、刺激的なフレーズが続きます。


 

VOL.058 * 2004/08/07


「恋のアドバイス」 ビートルズ

ビートルズ2作目の映画「HELP」(邦題:4人はアイドル)は、1作目に較べると
TV放映もほとんどなく存在をよく知らない若い人も多いでしょう。
リチャード・レスター監督によるドタバタ作品ですがのちのTVショウ「ザ・モンキーズ
モンティパイソン」などへ続く系譜の一端にある重要な作品ではないかと思っております。
この映画からまず「涙の乗車券」がシングル発売され、しばらくしてテーマ曲の「ヘルプ」、
そして3枚目に表題曲がリリースされました。ジャケット写真がバハマ海岸ロケのもので
夏向きな感じですが、何といってもジョンとポールのコーラスが混ざり合って
絶妙なさわやかさを持った音質として響いてくるのです。


「恋のアドバイス」ビートルズシングル盤画像
「恋のアドバイス」ビートルズ シングル盤画像
1974POPS in KYOTO チケット画像
コンサートチケットの一部 出演者は
泉谷しげる、遠藤賢司、荒井由実&ダディオー
 


VOL.057 * 2004/08/06


いちご白書をもう一度」 バンバン

映画「いちご白書」の日本公開が1971か72年頃で、荒井由美がバンバンのために
表題曲を書いたのが75年ですからこの間のインターバルがちょうど3〜4年。
文化的にやんちゃ盛りの若者が社会人のスタートラインへ納まるのに要する期間と
みごとに一致します。私も2年ほど遅れてその道を歩みました。
たぶん74年に京都会館のコンサートのゲストとして荒井由美の歌を聞いています。
そしてバンバンのこの大ヒットはパチンコ屋で玉を弾きながら聞いたことを思い出します。
私の社会順応の過渡期は平日パチンコ、土日競馬という日々を経由してました。




VOL.056 * 2004/08/05


「ヘルプレス」 CSN&Y

私らの若い頃にも希望を掲げた歌にだけ憧れを感じていた訳ではありません。
表題曲はクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングが映画「いちご白書」で
歌ったのですが、当時うねりのようなカウンターカルチャーの広がりの中で
その限界性や挫折といったものまで私ら高校生にとって憧れだったのは事実です。
CSN&Yはカントリータッチのコーラスを得意とするロックグループで、
私が買ったのは名盤「デジャブ」のシングルカット。A面が伝説の野外コンサート
「ウッドストック」のテーマ、そしてB面がけだるい叙事詩のような「ヘルプレス」この曲です。

 


VOL.055 * 2004/08/04


「少年は街を出る」 加藤登紀子

加藤登紀子が1970年前後にグラモフォン(ポリドール)の専属歌手として
定期的にシングルを発売していた頃「琵琶湖周航の歌」とカップリングで出ました。
サビのところにオカズのコードがひとつある以外は比較的単調なつくりのため
あまりオンエアの機会もありませんでしたが、個人的には好きでした。
歌詞の内容が、自立しようとする少年が期待と不安をともに持ちながら
圧倒的な希望を掲げて歩む姿をほうふつとさせ私自身の当時の
気持にとてもフィットしたのでしょう。ジャケット写真も
なんとなく頼りにしたい姉さんという雰囲気だったと記憶します。


「少年は街を出る」加藤登紀子シングル盤画像
「少年は街を出る」加藤登紀子 シングル盤



VOL.054 * 2004/08/03


「チェインジス」 フィル・オークス

アメリカのフォーク歌手フォル・オークスについてはほとんどこの「チェインジス」
についてしか知らないのです。サブドミナントで始まるおいしいコード進行といい、
ラディカルフォークソングの手本といえる歌詞といい、この曲を少しでも若いモンに
知って欲しくてあえて語らせていただきます。実はこの曲、私はデビューしたての
森山良子によるカバー(邦題:木の葉の丘)で初めて聴きました。
60年代末期の彼女は今ほどまるい雰囲気ではなく、若々しくとがった印象でしたが、
澄んだ声がこの曲にマッチしていました。訳詩は洋楽月刊誌「ミュージックライフ」編集長の
星加ルミ子さん(あの湯川れい子さんと張り合う存在)によるものです。

 


VOL.053 * 2004/08/02


「う  た」 中川五郎

私の高校時代に故郷の町の楽器店が幸運にもURCレコード商品の
取扱店だったことが、私の嗜好やものの考え方に少なからず影響を
及ぼしたことは否めません。このコラム第1回登場の六文銭のシングル盤も
五つの赤い風船の「おとぎばなし」も友部正人の「大阪へやってきた」も
皆その楽器店で手に入れたし、事件にもなった雑誌「フォークリポート」も
立ち読み出来ました。URC(アングラレコードクラブ)の初期の雰囲気を
後から知ろうとして買った表題曲は学生運動セクトの根源性と
ナイーブな感受性の同居したの時代ならではのうたといえます。

 

「うた」中川五郎シングル盤画像
「うた」中川五郎 シングル盤URCレコード


VOL.052 * 2004/08/01


「ホーボーの子守唄」 アーロ・ガスリー

アメリカのフォークソングにカウンターカルチャーの血統をもたらし
日本にまで影響を与えた一人としてウッディ ー・ガスリーが挙げられるでしょう。
彼の息子アーロ・ガスリーが好んで歌った「ホーボーの子守唄」、
中川五郎など関西フォークシーンでもことあるごとに歌われました。
ホーボーとは一説に貨物列車に便乗してほうぼうを旅した日系人が起源の
鉄道放浪者を指すようです。取り締まりに怯えながらも有蓋貨車の片隅に
一夜の慰安を得られたら幸福を感じることの出来る彼らの生活を
美しいメロディで淡々と語っています。can't you hear the steel rails humming?


 

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