ファミリーレストラングルッペがあった .
今はなき寿屋グループの外食部門として、株式会社グルッペは在りました。
昭和53年に創業し、一時はジョイフルに先駆けて九州一円にチェーン展開したファミレスでした。
   
  ファミリーレストラン グルッペの記憶  

第一号店は小田部店

福岡市西区(現・早良区)

小田部2丁目139

今宿街道沿いのロードサイドでした

ダイエー(現・イオン)の原店に

ほど近い郊外店舗出店適地です
 

本部所在地は当初、福岡市

中央区でしたが創業翌年

福岡県外への出店開始と

同時に熊本市の寿屋本部ビル

本荘3丁目3番3号4階へ移転

寿屋(グルッペ)本部ビル
      寿屋(グルッペ)本部ビル

福岡に出店開始、翌年から九州一円へ

 

昭和53年(1978年)の春に寿屋グループのファミリーレストラン「グルッペ」の第一号店が

福岡市内にオープンしました。当時の九州では本格的なファミリーレストランといえば、

「ロイヤル」の独壇場でしたが、この年あたりから山口の「サンデーサン」や、関西の

「シャロン」などが九州に上陸を開始し、大分の「ジョイフル」も翌年からのチェーン展開

の準備を始めた時期でした。寿屋の壽崎肇社長は、ペガサスクラブの渥美俊一先生を

通じて米国のコーヒーショップチェーンの情報を得て九州での早期店舗展開を目指します。

ジョイフルの郊外型店舗(熊本市)

ジョイフルの郊外型店舗(熊本市)
 
営業時間は基本的に

午前11時から深夜0時または1時

のちにモーニング営業店舗も拡大。

ジョイフルと異なり24時間営業は

ごく少数の店舗のみの実施でした。
 
  創業の昭和53年には、小田部店に続いて、今宿店、若久店、老司店、篠栗店と

福岡都市圏に店舗展開しました。折から福岡市は記録的な水不足による時間断水

が行われて多難なスタートとなりました。翌年からは鹿児島市の与次郎店や、

宮崎市の大塚店など九州全域への出店ラッシュがはじまります。当初のメニュー

コンセプトは、お手本のロイヤルに準じたスタイルのメインディッシュとお皿に盛った

ライスにスープやコーヒーを添えた洋食ラインでしたが、お盆で提供する和風定食

スタイルのメニューを始めると注文が集まり、次第に和食に軸足が載っていきます。

 
     

主要な取引先としては食材一般が

「東蜂産業」(のちの「トーホー」)、

食肉類が「日本食品」など。厨房機が

「富士厨房」(のちの「フジマック」)、

後年は「ホシザキ南九」中心に。

チェーン展開する外食企業の多くが

カミサリーやセントラルキッチンなど

集中調理品の配送体制をとる中

グルッペは「ニチレイ」「フンドーキン」

などのメーカーにスペック発注で

製造を委託する方法をとりました。
       
  釜めしと〇〇定食がメインに

和食メニューの売れ筋は、牛下がりの焼肉定食やチキン南蛮・とり天といった郷土料理で

小鉢に盛った「箸休め」が添えられた上品なものでした。昭和60年代になると木枠に

入った釜から茶碗に装う「釜めし」を使った定食が主力メニューになっていきます。

なかでも売れ筋は「釜めしとサイコロステーキ」、「釜めしとマリーンサラダ」などで、

すべての釜めしメニューには茶碗蒸しが付属していました。サイコロステーキの肉は

結着加工肉ではなくアウトサイドスカートを仕様書発注でカットさせて仕入れていました。

 
     

グルッペの販促

   
寿屋の「おしゃれ会シール」を模したお楽しみ会スタンプを

当初発行していましたが、やがて寿屋グループ共通の

「ハッピースタンプ」へ移行しました。その後の販促の主力

はグループ企業「寿ベーカリー」の協力で仕入れた小型の

お誕生ケーキを無料で提供するサービスで集客をしました。
 

 

 
  グルメステーション

昭和62年(1987年)の3月27日、寿屋は熊本市郊外の三里木に本格的な大型SCとなる

サンリー菊陽寿屋をオープンします。従来の寿屋の飲食といえば百貨店大食堂的な形態

でしたが菊陽店では小売の「圧縮付加」手法にならった多業種飲食街をテナントでなく

自社で揃える「グルメステーション」という新機軸を始めました。店内食堂とグルッペの

社員を動員して和洋中各種専門店を揃えました。菊陽に続いてえびの、出水、日向と次々

開業し昭和63年3月の宮崎店では10階フロアに20店舗以上揃えるという大掛かりでした。

新宮、直方を加えてグルメステーションにはいずれもグルッペと名乗る店がありました。

菊陽グルメステーションの跡
寿屋時代右側部分にグルッペが

     
     
  路面店をCASAへ売り(株)グルッペの消滅  
グルッペの路面店舗はロイヤルホストを見習った本格的な重装備のせいもあり、損益分岐点が押し上げられていたきらいも

ありました。創業以来14年のあいだ度々の赤字を寿屋本体のバブル景気に助けられて来ましたが平成3年(1991年)には、

ついに抜本的なリストラを迫られます。年初から密かにセゾングループの西洋フードシステムズと身売りの交渉をすすめて、

6月1日をもって42店舗を譲渡することになりました。寿屋敷地内店舗を除くグルッペ路面店(平均年商1億強)はすべて順次

「CASA」へ転換されて行きました。残ったグルッペ店舗は寿屋本体のレストラン事業部へ吸収されたあと、新しい連結子会社

株式会社ジェフが運営します。「CASA」はやがて「居食処 博多五風」へと業態転換されたりして2014年には消滅しました。
      画像:東バイパス「五風」跡
  屋号グルッペの終焉

平成3年の路面店舗身売りのあと、グルッペの屋号で残ったのは、大分県の駅川店と

稙田店、鹿児島県の伊集院店でいずれも寿屋の店舗または敷地内にある店舗そして

他にはグルメステーションに属するSCテナントの店舗でした。運営する株式会社ジェフは

回転寿司の「たつみ寿し」、ファストフード「TATSUMIYA」さらに「ミスタードーナツ」をFCで

展開します。「たつみ寿司」は麻生田、田崎、長嶺の路面店、「TATSUMIYA」では初めて

寿屋以外のSCテナントとなるサンリブ三ヶ森店の出店を果たしました。しかし平成14年

寿屋の全店舗閉鎖にともないグルッペは消滅、ジェフも間もなく清算されてしまいました。

熊本市東区月出にあった
たつみ寿し長嶺店もジェフの運営

     

グルッペ全店舗リスト
北九州地区 福岡地区 筑後地区 佐賀・長崎地区
山口小郡店  京良城店

若松店  折尾店  桂川店

小田部店  今宿店  若久店

老司店  博多駅東店

和白店  篠栗店

甘木店  福岡小郡店

長門石店  筑後店

八女店  大牟田店
鳥栖店  武雄店

大村店
熊本県 大分県 宮崎県 鹿児島県
山鹿店  北部店  新外店

東バイパス店  近見店

八代店  人吉店
中津店  日田店  駅川店

乙津店  高城店  稙田店

南大分店  佐伯店
延岡店  日向店  大塚店

平和台店  市体育館前店

都城店
川内店  伊集院店

与次郎店  鹿屋店
大規模グルメステーション 小規模グルメステーション    
菊陽店  えびの店

日向店  宮崎店
出水店  新宮店  直方店    

昭和59年ごろのグルッペ平和台店(宮崎市矢の崎町)
昭和59年ごろのグルッペ平和台店(宮崎市矢の崎町)



 

グルッペ初期のメニューより
バーベキューミックス \1180 ミックスグラタン \620 ヒレカツ定食 \980 ピラフコンボ \750
チキン南蛮定食 \680 おぐらパンケーキ \390 ヤングステーキ \980  

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